鉄道の「廃線」を巡る 目黒駅から「大森駅」と「国分寺駅」を目指していた池上電気鉄道 世田谷区東玉川の地に7年間だけ存在した「新奥沢線」とは #世田谷#池上#鉄道 記事に戻る 昭和一桁時代の東京・世田谷区部を中心とした鉄道路線計画図。現在ある路線のほかに多くの計画路線が存在していたことがわかる=資料/国立公文書館蔵雪が谷大塚駅付近をゆく東急・池上線=2026年3月24日、大田区南雪谷奥沢支線(新奥沢線)の路線が描かれた当時の地図。太く黒線で描かれている路線は、新奥沢線廃止後の代替バスのルートを示す=資料/国立公文書館蔵池上電気鉄道国分寺線の一部(雪ヶ谷駅~新奥沢駅間)の鉄道敷設を許可した免許状=資料/国立公文書館蔵新奥沢線の途中から「丸子渡駅」へと向かう計画だった分岐線。目黒蒲田電鉄と競合するとの理由から申請は却下され実現には至らなかった=資料/国立公文書館蔵新奥沢線と移転された雪ヶ谷駅、廃止された調布大塚駅の位置関係がわかる略図。新奥沢線廃止申請時の文書より=資料/国立公文書館蔵新奥沢線があった当時の雪ヶ谷駅付近のようす。左手前の線路が新奥沢線。奥には移転前の雪ヶ谷駅が写る。池上町史より=資料/国立国会図書館蔵ひとつ前の古写真と同じ場所の現在のようす=2026年3月24日、大田区南雪谷いまでも現・雪が谷大塚駅のホーム脇には、線路用地が拡がりを見せ、廃線跡が右へ大きくカーブしていた様子を伺い知ることができる=2026年3月24日、大田区南雪谷新奥沢駅跡へと続くまっすぐに伸びる道路。廃線跡は、この右手の住宅地の中を走り抜けていた=2026年3月24日、世田谷区東玉川この住宅地の一画に新奥沢線の中間駅「諏訪分(すわぶん)駅」があった=2026年3月24日、世田谷区東玉川諏訪分駅を過ぎた辺りから雪ヶ谷駅方向を見る=2026年3月24日、世田谷区東玉川この路地の突き当りに新奥沢線のプラットホームがあったという=2026年3月24日、世田谷区東玉川新奥沢駅跡地の一角にひっそりと建てられている駅跡を示す石碑=2026年3月24日、世田谷区東玉川新奥沢駅跡地にある宅地の一角に整然と置かれている電車の車輪=2026年3月24日、世田谷区東玉川 記事に戻る わずか7年、世田谷の住宅街に消えた鉄道「新奥沢線」とは たった2駅の廃線跡を歩いて見えたもの