国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」シンガー・ソングライターの谷村新司第3回では、趣味のエピソードを紹介。筆者は、この趣味=ビニ本コレクションについて、本人に直接インタビューしています。当時は記事化されなかったその興味深い内容を、初公開します。
「ビニ本」に載った音楽記事
現代ではほとんど死語になっているが、1970年代末から1980年代初期、ビニ本という過激な性表現写真を売りにした、いわゆる“エロ本”がブームになったことがあった。東京・神田神保町の芳賀書店が、店頭販売する際、立ち読み防止のためにビニール(ポリエチレン) の袋で包装し、内容を見れないようにしたことに由来しているとされる。
全盛時には書店販売だけでなく、ビニ本自動販売機まで出現した。1980年代初期、ぼくは神奈川茅ヶ崎市に住んでいた。その頃は車で10分も走ると、まだ畑も多かった。ある夜、 畑の近くに車を走らせている時、明るい光が見えた。新しいドリンクの自販機かなと思い、 車を停めて近くに行ったら、何とビニ本の自販機だった。まあ、それくらいビニ本がブームだったのだ。
ビニ本はほとんどが女性の猥褻なヌード写真が中心だったが、中には文章による記事ページがあるものもあった。1980年代初期、パンクロックの歴史やエピソード、バンド紹介を、初めて名を訊く出版社から依頼された。原稿用紙50枚ほど記して、原稿を送った。校正の連絡もなく、いきなり完成した見本誌が送られてきた。何とそれはビニ本だった。畑に自販機、ビニ本にパンクロックの歴史。今考えると昭和はシュールな時代だった。
当時の記事では使わなかった谷村新司のコメント
谷村新司~チンペイさんがビニ本コレクターと知ったのは、ある男性誌でビニ本コレクターとカミングアウトしていたからだ。数ページに渡り、チンペイさんはビニ本についてインタビューを受けていた。
その記事を読んだ後、チンペイさんにインタビューする機会を得た。音楽誌からの依頼だったので、ひと通り記事用のインタビューを終えてから、記事には使えないけどと断りを入れて、ビニ本の話になった。
“何でビニ本好きなんでしょうね。まずはぼくが男で女性に興味があるからというのが真っ当な答えかな。でも、あのビニールを剥がして、見てはいけないものを見るというスリルも好きな理由にある。ぼくは何か夢中になるととことんのめり込んじゃうんです。音楽で食べていけるようになったのも、周囲の反対を押し切ってとことん音楽にのめり込んだからです。ある日、スタッフだったかな、 ビニ本を見せられて、これは面白いと無条件に思って、それからコレクションが始まった。 気付いたら数千冊(一説では5000冊と言われる)が集まっちゃったんですよ”