女将やマダムのいる店は、何かが違う。「女将」ってなんだろう?その姿に迫る『おとなの週末』連載「女将のいる場所」を、Webでもお届けします。今回は、1995年に神奈川県・鎌倉市で開業した粋な料理とお酒を楽しめるお店『よしろう』の姫田あかねさんです。
おいしいと言ってくださるとうれしい、それだけ。自らを「大して奥深くない」と語る洒脱な女将が営む店『よしろう』
父が字幕翻訳したフランス映画『天井桟敷の人々』の主人公、自由にして気高き女性の名はガランス=あかね。日本初公開の1952年に、姫田(ひめだ)あかねさんは生まれた。
「絶対に叱らない父のもと、それはそれはわがままに育ちました。あなたは昔ね、って今でも苦情がくるくらい」
4歳にして、自ら望み日本舞踊を始めた。何をしても続かない母とは違う、ひとつの道を究める人でありたい。
だから15歳で父が他界し、1週間後に差し押さえの大人たちが来ても諦めなかった。アルバイトで稽古代を稼ぎ、大学進学のための資金さえ費やして、18歳で名取を取得。
名披露目は「鷺娘」だ。地獄の責め苦にもがく鷺の精が、最後に執念で立ち上がる。何度繰り返しても駄目、駄目、と叱責されて、腹の底からうわーっと、嗚咽と涙が溢れ出した。すると師匠が、「それだよ」。求めるほどに底知れぬ踊りの世界から、飛び出したのは33歳の時だ。
「私みたいな者は、大して奥深くなかったということです。二度と踊らないと決めてやめ、以来踊っていません」
結婚、出産、離婚を経て、鎌倉に『よしろう』を構えたのは1995年。女将の店で男名前なのは、かつて働いていた伯母の割烹に倣ったものだ。父のペンネーム「余四郎」をひらがなで書いたら、ちょっと粋な気がした。
「書体はなんでもいいわって、暖簾屋さんにお任せです」そういうとこ雑なのよ、と笑うあかねさんは、家電の説明書も料理の本も読まない派。
料理は習うものじゃない、良(い)い加減で作るもの、が持論であった。ところが70歳を過ぎ、自分の味が安定しないと気づくやすっぱりと持論を捨てて、本で確認し、分量だって計るようになる。
「結局は母と同じ、何かを突き詰めたことがありません。お料理だって奥深いところがわかっているわけじゃない。ただ、お料理ってお相手がいるでしょう? 食べて、おいしいって言ってくださるとうれしい。それだけです」
反対に少しでも考え込まれると、しょっぱかったですか? など訊ねてしまう。自信があるようでいて、ない。
人間嫌いのはずが、人がおもしろくなって31年。「開店時間はお客様との契約なので」と言い残し、取材を終え小町通りの雑踏へ、美しい馬車模様の帯が消えていった。




