百軒店は昭和に入ると飲食店やカフェー、映画館などが続々と集まり、娯楽の中心地として最盛期を迎える。 百軒店とともに街を発展させたもう一つのエリアといえば、坂の上の円山町。かつて花街として栄え、大正期には400人の芸者衆を抱えていた。
画像ギャラリー歓楽街と花街の艶に 酔い、名店で憩う
「昭和30年代、渋谷は文化と音楽の街でした。百軒店には映画館が3軒もあって、渋谷駅から送迎バスが出ていたんですよ」
と、当時の写真を見せてくれたのは、『たるや』の3代目店主・吉田 誠さん。
(たるや)渋谷生まれの店主が 祖父母から引き継いだ店
「たるや」は戦前は一杯飲み屋。戦火での一時閉店を経て、お好み焼き・鉄板焼き屋となった今も焼酎や酒が充実している。[交]渋谷駅から5分 百軒店
そう、戦後の渋谷で一番の繁華街は、道玄坂の中腹にある百軒店だった。
歴史は、大正12年の関東大震災直後に遡る。
コクドの前身である箱根土地株式会社が「百貨店」のコンセプトで、被災した下町の老舗や有名店を誘致して計画的に商店街を作ったのが原点だ。当時の賑わいを、竹久夢二は『渋谷百軒店夜景』に「百軒店で軒別に見歩くのはおっくうになった」と語っている。
下町の復興とともに当初の有名店は去ったが、昭和に入ると飲食店やカフェー、映画館などが続々と集まり、娯楽の中心地として最盛期を迎える。特にジャズやロックを聴かせる喫茶店が脚光を浴び、活況を呈していた。
現在も当時と変わらぬ姿で歴史を重ねる『名曲喫茶ライオン』は、まさに街の生き証人的存在。現在のオーナー・石原圭子さんはその頃を振り返る。
(名曲喫茶ライオン)都内最古の名曲喫茶は、昭和文化遺産的な存在
「名曲喫茶ライオン」は来年で創業90年。建物は空襲で一度全焼したが、創業者自らデザインした昭和25年当時の佇まいを残す。現オーナーの石原圭子さんは3代目でネルドリップで淹れるコーヒーは店名の由来でもあるロンドンの『ライオンベーカリー』直伝。[交]渋谷百軒店(ひゃっけんだな)
「最初は流行歌を流していたんですよ。なにしろ歌声喫茶が流行っていた時代でね。でもお客さんが持ってきたクラシックレコードをかけてからは、クラシックだけになった。
当時の店内は学ラン姿の学生たちでびっしり埋まっていたもんです」
路地裏には、昭和26年創業のインドカレーの名店『ムルギー』、定食屋『とりかつCHICKEN』などがあり、同じように昭和の味と歴史を受け継いでいる。
(とりかつCHICKEN)変わらぬ味とボリューム 人情味あふれる定食屋
「とりかつチキン」は百軒店の雑居ビルの奥にある、揚げ物専門の定食屋。ラードでカラッと揚げたフライを頬張れば、渋谷のお袋の味を実感できる。[交]JR山手線他 渋谷駅から徒歩6分 ※ランチタイム有
百軒店とともに街を発展させたもう一つのエリアといえば、坂の上の円山町。かつて花街として栄え、大正期には400人の芸者衆を抱えていた。
『おでん割烹ひで』の板前さんによると、「昭和の時分、街には三味線の音色が聞こえていましたよ」
(おでん割烹ひで)花街に育てられた粋な味わい
「おでん割烹ひで」が創業したのは、円山町がまだ花街として栄えていた頃。旦那衆が常連で、通りも賑やかだったという。[交]京王井の頭線 神泉駅から徒歩2分
昭和39年の東京オリンピックを境に様子は一変。花街の灯りは徐々に小さくなり、料亭や置屋はラブホテルへと変わった。そして現在、ライブハウスやクラブなどが界隈に新しい表情を与えている。
駅周辺の再開発の波は今のところ、百軒店・円山町を飲み込むことはなさそう。
店も客も世代は変わりつつも、華やかな情緒がひっそりとここに息づく。
※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。
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