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日本勢の金メダルラッシュに沸く東京五輪もいよいよ終盤を迎えます。アスリートの活躍を支える選手村食堂は、各国の選手がSNSに「食事がおいしい」とたびたびアップするなど好評です。前回1964年東京五輪の選手村食堂で料理長を務めたのは村上信夫氏と入江茂忠氏。この伝説の料理人2人がそれぞれ総料理長だった帝国ホテルとホテルニューグランドでは、世界のアスリートを魅了した当時のメニューが復刻され、話題を集めています。

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57年前、7000人の“胃袋”を満たすために60万食が用意された!

1964(昭和39)年の東京五輪では、93の国と地域から選手や関係者約7000人が集まりました。選手村での提供が見込まれた食事の量は約60万食。このため選手村には3つの食堂が設けられました

そのうちのひとつで日本、アジア、中東選手団向けの食堂「富士食堂」の料理長を務めたのが、のちに帝国ホテル初代総料理長となった村上信夫氏です

全国から集まった料理人達に調理技術を伝えた村上信夫氏

この村上氏の足跡をたどる「第11代料理長/初代総料理長 村上信夫 生誕100周年記念企画」が8月31日まで、帝国ホテル(東京都千代田区)で開催中です。1964年当時の選手村食堂のメニューもわかる貴重な内容です。

当時の選手村食堂には、全国各地のホテルやレストランから約300人の料理人が集められていました。村上氏は料理長の1人として、料理人達に料理技術を伝授。その後の日本でのフランス料理の発展に力を尽くしました。帝国ホテルの“門外不出”のメニューの一部も、料理人達に教えたといいます。

今回の記念企画にあわせ、帝国ホテル内のブフェレストラン「インペリアルバイキング サール」では、当時のレシピのまま作られた「チキンのフリカッセ」「洋ねぎと鶏のスープ」の2品を味わうことができます

村上氏らが試行錯誤を重ねた冷凍食材 「五輪」から「家庭」の食卓に普及

村上氏は、食材の冷凍保存に関する設備・調理法などについても研究を重ねました。選手村食堂では、大量の食材を保存して鮮度を保ったうえで、選手らに安定して供給しなければなりません。このため、冷凍技術の開発が急務だったのです。

当時、「冷凍食材は味が落ちる」といわれていました。村上氏は、食材ごとに冷凍や解凍方法を変えるなど試行錯誤を繰り返しながら、冷凍食材を使ったメニューの実現にこぎつけます。今では、数多くの冷凍食材が流通し、日本の食卓には欠かせない存在ですが、普及の陰には、このような村上氏の努力があったのです。

こうした村上氏の功績に敬意を込めて、記念企画では、第14代東京料理長を務める杉本雄氏が、冷凍食材を使った新メニューを考案しています。タイや旬のスズキ、芝エビなど冷凍魚介類を使用した「魚介のブイヤベース クスクス添え」。今回の記念企画で、注目の料理のひとつです。

ホテルニューグランドの入江茂忠氏は「女子食堂」の料理長

選手村の「女子食堂」料理長を務めたのが、ホテルニューグランド(横浜市)の2代目総料理長、入江茂忠氏です。ホテルニューグランドによると、「スパゲッティ ナポリタン」を生み出したシェフとして知られています

選手村食堂では、村上氏と同様に、全国各地から集まった300人の料理人の指導に尽力しました。五輪閉幕後、研鑽を積んだ料理人たちは地元に戻り、本格的な西洋料理を日本全国に広めていきました。

ホテルニューグランドの伝統コース料理にアレンジ

ホテルニューグランドでは9月5日まで、レストラン「ル・ノルマンディ」とコーヒーハウス「ザ・カフェ」で、「1964選手村食堂メニュー」を提供しています

「ル・ノルマンディ」では、当時の選手村食堂メニューを、ホテル伝統のフルコース料理にアレンジしました。メインディシュでは、「白身魚のムニエル」や「仔羊のロースト」、「牛フィレ肉のステーキ」からそれぞれ選べるほか、「タスマニアサーモンのミ・キュイ キャベツとリンゴのサラダ添え」など、見た目も華やかな料理が並びます。

「ザ・カフェ」では、選手村で人気の高かったペッパー・ステーキを提供しています。当時は、ランプ肉でしたが、現代人の舌に合うようリブロースに変更。営業企画部の担当者は「料理を通して、当時の歴史や物語を楽しんで頂きたい」と話しています

技とおもてなしの心……“食のレガシー”さらなる発展を

前回の東京五輪は、戦後の焼け野原から立ち上がった日本の復興の象徴として開催されました。村上、入江両氏の巨匠をはじめ多くの料理人達は、アジア初となる五輪成功のために情熱をかけ、選手村食堂で腕を振るいました。選手村食堂を通じて研鑽を積んだ料理人達は、その後の日本の食文化の発展に貢献します。

今回の復刻メニューは、そんな先人達がつくり上げた“日本の食のレガシー”に触れるいい機会です。当時の味に舌鼓を打ちながら、料理人達の技とおもてなしの心に思いをはせてみませんか。

村上信夫

むらかみ・のぶお。1921年、東京生まれ。39年、帝国ホテル入社し、58年には日本初のブフェレストラン「インペリアルバイキング」オープンを主導。「ムッシュ」の愛称で親しまれ、1960年から9年間、NHK「きょうの料理」の人気講師を務めるなど、お茶の間でも親しまれました。69年、第11代料理長に、翌年、初代総料理長に就任。2005年、84歳で死去。

入江茂忠

いりえ・しげただ。1912年、鳥取県生まれ。34年、ホテルニューグランド入社。初代総料理長サリー・ワイルに師事し、本格的な西洋料理を学びました。52年、第2代総料理長就任。戦後、アメリカ兵が食べていたケチャップスパゲッティを、ホテルのメニューにするため改良を重ね、トマトの風味豊かな「スパゲッティ ナポリタン」を生み出しました。89年、77歳で死去。

帝国ホテル

近代国家を目指した「日本の迎賓館」として、1890(明治23)年に開業。設立発起人の総代のひとりであった渋沢栄一は、開業以来19年間、初代会長を務めました。ホテルに初めてランドリーサービスを導入、ショッピングアーケードを開設するなど、最新の設備で業界をリードしてきました。1923(大正12)年に竣工した旧本館は、アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが設計。建物の随所に、日本の伝統的な装飾が施され、「ライト館」として親しまれました。2020年には開業130周年を迎えました。

【メニュー提供時間】

「インペリアルバイキング サール」
11時~15時(閉店)
17時~20時(閉店)
電話03‐3539‐8187

ホテルニューグランド

関東大震災でがれきと化した横浜復興のシンボルとして、1927(昭和2)年に開業。当時、ホテルのレストランとしてはめずらしく、ドレスコードが自由で、コース料理のほか、アラカルト(1品料理)も提供するなど、画期的なサービスが人気を集めました。太平洋戦争の戦火を逃れたホテルは、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥の最初の滞留先となったほか、作家の大佛次郎が定宿として創作活動を行い、「霧笛」「鞍馬天狗」などの名作を生み出したことでも知られています。

【メニュー提供時間】

「ル・ノルマンディ」
11時45分~15時30分、14時30分LO
17時30分~21時、20時LO
※当面の間、ディナータイムは19時LO
「ザ・カフェ」
11時~21時30分、20時30分LO
※当面の間、ディナータイムは18時30分LO
いずれも電話045‐681‐1841

※緊急事態宣言の期間中、営業時間等に変更がある場合があります。お出かけの際は、各ホテルのレストランHP等で確認するようお願い致します。

文/中島幸恵

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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