招かざる客?
バス停から10分くらい歩いただろうか。緑が豊かな住宅街の一角にある、薄茶色の壁の家の前でマリア母さんは立ち止まった。
木の門を開けて入ると、庭の草はきれいに刈られていた。家も古いが立派で、昔は裕福だったのではないかと思われた。マリア母さんに続いて私は玄関から家に入ったが、どうやら犬は飼っていないようだ。では母さんがバス停から家までの道中に繰り返し、私にジェスチャーしていた「60センチが3つ」は、どういう意味なのか。
マリア母さんが奥に声をかけると、30歳くらいの娘さんが「おかえりー!」と出てきた。が、娘さんは、私を見て「マジ!?」という顔をしてのけぞった。もしかして、この小さな町にはめったに出没しない顔の平たい日本人が家に来たからびっくりしたのだろうか。
そして母娘は、私をほったらかして奥の部屋へとパタパタと駆けて行った。もしかして先客でもいるの? と不安になって後を追うと、そこには……
うおっ!?
私は呆然とした。四角いベッドが一台、そのまわりを床が全く見えないほど、大中小の壺や瓶や鍋がぎっしりと詰め込まれていたのだった。なんだ、この四面楚歌状態は? その数、100以上はゆうに超えている。部屋に入りきらず廊下にもあふれており、もちろんドアは閉まらない。
昔、芸能人がスピリチュアルな石をベッドのまわりに置いているという週刊誌の記事を読んだことがあったんだけど、もしかしたら、その類なのだろうか? 私は母娘の背後から尋ねた。
「あー……マリアさん、これは何?」
私の声にマリア母さんと娘は「しまったー、ソミーに見られた!」とバツが悪そうに振り返った。そして母娘で何やらワーワーと言い争いをはじめた。バス停での客引きおばちゃんバトルに続き、「私のためにケンカはやめて」パートⅡである。
大量生産の謎
「まあ、まあ」と私が間に割って入ると、カタコトの英語が話せる娘がすまなさそうな顔をして私に言った。
「ムゥラトゥリ……つまり、これ、ピクルスなんだけど、今日、農家の親戚がたくさん野菜を持ってきたから、さっきまで一族総出で漬けてたの」
「何でこんなに?」
「ルーマニアは冬に野菜が高くなるから秋になると、どの家でも冬に備えて一斉に漬けるんだよ。日本ではやらないの?」
「昔は日本の家でも漬物を作っていたと思うけど、今は、ホットなハウス(温室)があるから」
「へえ、さすがハイテクな国だね。昨日までこの部屋、半分くらいしか瓶がなかったから、まあ、誰か来たらどかせばいいよねって。最近、寒いからお客さんもあんまり来ないし、今日も来ないだろうと……」
なるほど、よく見れば、ガラス瓶の中に、ぎっしりとキュウリやニンジン、玉ネギなどが詰まっている。マリア母さんの謎の動作は「犬が飛びかかる」でも「庭は草ぼうぼう」でも「炭坑節のような踊りがある」でもなく、「あんたの泊まる部屋には、これくらいの高さのピクルス壺がいっぱいあるけど、帰ったらどかすからね」という意味だったのだろう。
言葉が通じなくても同じ人間だもの、身振り手振りで心は通じると信じていたが、実は1%もジェスチャーが通じていなかったことが判明し、私はうなだれた。しかし、わかる日本人はいないだろう。
日本人が熱狂している!
それにしても、ベッドがまるでピクルス壺の海に浮かぶ小島のようだ。このままではベッドにたどり着くことも、夜中にトイレに行くこともできない。
そこで、大量の瓶や壺を廊下やリビングに移動させることになった。3人が横並びになり、ずっしりと重いピクルスを、えっさ、えっさと手渡ししながら部屋から出していく。日本の私のお母さんは、今、娘がルーマニアの家でピクルス壺をバケツリレーしているとは思ってもみないだろう。30壺ほど移動させると、なんとか人が通れる通路が確保できた。
「あ~、やれやれ」と3人で肩をまわしながら夕食となった。実は宿泊に加え、ディナーもプラス料金で頼んでおいたので、私はロールキャベツなどの温かいルーマニア家庭料理を期待していた。しかし、この日、娘が家中の鍋という鍋をすべてピクルスに使ってしまったらしく、今日のディナーはパンとこのピクルスだけだという。マリア母さんは、申し訳なさそうに「お詫びにいくらでも食べていいから!」と、食べごろになっているキュウリのピクルス瓶を開けて皿に盛る。
日本のキュウリよりも短く太い。さっそくひと口、齧ってみると、おおっ、意外や意外……味も硬さも日本の塩もみキュウリそのものであった。不思議なことに、ピクルスのはずが酸味がない。私が首を傾げていると、「ルーマニアでは酢漬けよりも、塩水に漬けることが多いのよ」と娘が言う。どうりで部屋は酸っぱい匂いがしなかったわけだ。
味噌がないのが残念だけど、懐かしい故郷の味に似た塩キュウリに私は夢中になった。無心でバリボリかじっていると、「ジャパニーズがうちのキュウリに熱狂している!」と、目を丸くした親子は、わんこ蕎麦のようにどんどん盛る。
カッパじゃあるまいし、「もう無理!」と慌てて止めても、「遠慮しないの!」と横からよそるから、おかげで喉はカラカラ。合計20本くらいだろうか、人生でこんなにキュウリを食べた日は後にも先にもこの夜だけだろう。
月灯りに浮かび上がる鍋
夜が更けると、マリア母さんが台所から「これ、出稼ぎに行ってる父さんのなの」と台所からプラム酒を持ってきてくれた。私は朝市場で買ったナッツとドーナッツをリュックから出して2人に分けた。言葉もたいして通じないけれど、酔っぱらって笑って眠くなった。
私は、部屋に戻り、瓶をひっくり返さないように、細い通路をカニ歩きしながら、木製のベッドに倒れ込んだ。スプリングの効いたマットレスに横になると、窓から差し込む月灯りで、部屋の瓶や鍋が怪しく浮かび上がる。さっきまで陽気に騒いでいたのに、シーンと静まり返ると急に心細くなった。やはり四方をピクルス壺に囲まれていると圧迫感がある。不気味なドラキュラ伝説で有名なルーマニアであるからして、何かが起きそうな気配がしてならない。
いつの間にか寝入った私は、夢を見た。寝返りを打ってベッドから転げ落ち、ドミノ倒しのように瓶をなぎ倒してしまい、瓶や鍋から巨大化したキュウリがニュルリと出てきて下敷きに。重い。さすがに食べすぎた。もう当分、キュウリは見たくない……。
あんた、好きでしょう?
ところが、である。翌朝、「ラレベデレ(さようなら)」と挨拶し、出ていく私をマリア母さんが呼び止めた。そして、自分の腹をポンポンと叩きながら、「ソミー、旅の途中、お腹がすいたら困るでしょ。ひと瓶、あげるから!」とキュウリがぎっしり詰まった何キロもある重い瓶を運んできた。私は、焦って首を振った。
「いいから! ソミー、あんた、“キューリ”、好きでしょう?」とばかりに、私に瓶をぎゅうぎゅうと押し付ける。蓋がきっちりと閉まらず、揺らすと塩水が漏れる。ありがたいけど、ルーマニアの母さんの愛も瓶も重い。結局、断り切れず、私はでかい瓶を手で抱えてとぼとぼとバス停に向かった。
北の街へ向かうバスに乗り、窓の外の景色を眺めながら、膝に抱えた瓶の蓋をパカッと開けた。バリボリと響く音に、車内の乗客たちのこわごわとした視線が刺さる。それでも早く減らしたい一心で私はキュウリの塩漬けをかじり続けた。マリア母さんの家の床は、今年の秋もピクルスの瓶でいっぱいになっているのだろうか。
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