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私のためにケンカはやめて

秋が深まるルーマニアを旅していた時のこと。私は、首都のブカレストからウクライナとの国境に近いマラムレシュ地方を目指し、電車やバスを乗り継いで少しづつ北上していた。その日、通った道はひどく凸凹で、路線バスがトビウオのようによく跳ねる。それでも強烈な眠気に勝てずガラス窓に頭を何度かぶつけながらも、深い眠りに落ちていた。

どのくらい時間が経ったのか、北部の観光の拠点となる小さな町に到着した。隣の席の少年に「マダム、終点だよ!」と、肩を叩かれ起こされると他の乗客はすでに立ち上がって荷物を棚から降ろしている。私はあわててリュックをしょって目をこすりながら最後にバスを降りた。

おばちゃんふたりがケンカに!

外に出ると、空には夕焼けが広がり、空気はひんやりしていた。

「寒っ!」と身震いをしたとたん、ふたりのルーマニア人のおばちゃんがヒタヒタと忍び寄ってきた。「え、なになに?」と後ずさりをする私の腕をガシッと取り、「私にしなよ!」「いいえ、私のものよ!」とばかりに、左右に引っ張りながら、2人は私をめぐってキィキィとケンカをはじめた

イケメン2人に争われるようなことは人生では全く起こらないが、なぜか旅先ではおばちゃんに結構モテる。目をギラギラさせ鼻息荒く、私を取り合う2人に「私のために争うのはやめて!」と(日本語で)言った声が聞こえたのかどうか、そこへ「あんたたち、やめなさい!」とばかりに、向こうから3人目の母さんがノシノシやってきて、ふたりのおばちゃんを引きはがしてくれた。

あんた……ソミーの国の人ね?

バス停の周りをよく見渡せば、他にも地元のおばちゃんたちが7、8人ほどいて、仲裁してくれた母さんはどうやらその元締めというか、ボスのような存在であるらしかった。そして、ボス母さんは、私を上から下までジロジロと眺め、

「チャイニーズ?」と聞いてきた。

「ネ!(いいえ) アイム、ジャパニーズ」と答えると、母さんはちょっと驚いた顔をしたので、この小さな町では日本人が珍しいのかもしれない。

しかし、すぐに「私、知っているのよ!」とばかりに、
「ああ、ソミーね!」とどや顔で言った。思わず、「えっ!?」と聞き返したが、発展途上国の市場では「ソニー(SONY)」の偽物ラジオが「ソミー(SOMY)」として出回っていたことを思い出し、きっと「ソニー(の製品を作っている国ね)」と言いたかったのではないかと思うに至った。しかし、ボスの面子を潰さないよう、私は、表情を変えずに「ダ、ダ(そう、そう)」と相槌を打った。

母さんは満足そうにうなづいて、後ろにいたおばちゃんたちと話し合いを始めた。よく見れば、皆、手にはボードを持っている。そこにはルーマニア語と裏面に英語で「HOTEL」と値段が書かれており部屋の写真が貼られていた。彼女たちは自分の家の部屋を貸し出す民泊の客引きであった。

独裁者のチャウシェスク大統領が銃殺されてからすでに10年以上が経っていた2000年代前半のルーマニアは、ようやく国が安定してきたとはいえ、ほかのヨーロッパの国々に比べるとまだまだ貧しかった。民泊業は世界中、どこでも行われていたが、現金収入の少ないルーマニアでは特に熱心であった気がする。インターネットが普及していなかった時代、おばちゃんたちは、日がな一日、バス停でお客さんを捕まえようと待ち構えていたのだ。

私はそれぞれのボードの写真を見比べると、アンティークの家具が置かれた豪華なベッドルームもあれば、普段は子供部屋なのか足がはみ出しそうな小さなベッドが置かれた部屋もある。安宿より2、3割ほどお得で、一泊500円から800円くらいであった。

話し合いを終えた、ボス母さんは、「よし、ユーは、この母さんについていきなさい!」と、なぜか、先ほど私を取り合ったふたりとは全く関係ないおとなしそうなお母さんを、グイッと前に押した。「えっ、私の意見は……」と言いかけたが、ボスに口ごたえしても、いいことはなさそうだと悟ったので「ダ!」とうなづいた。(後から知ったのだが、仲間内で儲けが偏らないように調整していたらしい)

60センチが3つ、とは何なのか?

ボスに指名された母さんは、ちょっとはにかみながら、自分の胸をトントンと叩き、「ア…アイム、マリア」と名乗った。しかし、私が名乗った「アヅサ」の「ヅ」がルーマニア人には発音しずらいらしく、「アジャシャ?」「アギャシャ?」と何度も舌を噛みそうになる。すると、マリアさんは、「ウ~ン、ソーリー、もうユーはソミーさん、って呼ぶわ」と申し訳なさそうに宣言したので、私はニセの日本の電気会社の名前で一晩、呼ばれることになった

歩きながら、マリアさんは「マ、マイ ハウス……ヌ! ル、ルーム…」と家の紹介を始めたが、すぐに黙り込んでしまった。英語がもう限界だったのか、「ウウ~ン」と眉間にシワを寄せ、頭をかいた。そして道端で立ち止まり、何やら手を上下に動かし、「60センチくらいの高さの何か」が、「3つ」というようなジェスチャーを繰り返した

「うちには、孫(?)が3人いる」とでも言ってるのだろうか? 私は道行く子供を指さして、「チルドレン?」と聞くと、「ヌ、ヌ(違う)!」と手を振る。

「じゃあ、でっかい犬? バウバウ?」
「バウ……ウ~ン」

マリアさんは、再び立ち止まり、何やらルーマニア語で私に話しかけながら、今度は、地面をエッサ―、エッサ―とばかりに掘ってみたり、持ち上げたり、払ったりするような動作をする

家には60センチの犬がいて、飛びかかってくる。でも、こうやって追い払えれば大丈夫……。いや、それとも、うちの庭は草ぼうぼうだから手で払いながら歩くのよ……とでも言っているのだろうか。

ルーマニアの炭坑節?

ジェスチャーを見ているうちにおかしな展開に

私は必死で何かを伝えようとするお母さんをじっと見つめながら、妙に懐かしい気分になった。何だろう、この動き……あっ、そうか、炭坑節だ! その動きは盆踊りで見る動作にそっくりであった。「掘ってー、掘ってー、また掘って。担いで、担いで……」という、炭坑節を習った時に聞いたフレーズが脳内に響いた。

ルーマニアに盆踊り大会はないだろうが、今夜、集落で催しがあって、こんなダンスをやっているよ、と伝えようとしているのだろうか。私は重いリュックをしょったまま、マリアさんの動作を見様見真似でなぞりはじめた。道端で炭坑節(のようなもの)を踊る、ルーマニア人のお母さんと顔の平たいアジア人の二人組を、道行く人々が遠巻きにけげんな顔で見つめている

マネを始めた私が意外だったのか、マリアさんは「ソミー、あんた、おもしろい子ね!」とばかりに手を叩いて、フハハ!と笑い始めた。これまでサバンナやアマゾンを旅してきた私は、大抵のことには慣れている。「ノープロブレム!」と伝えると、マリアさんは「フムフム」とうなづいた。言葉がほとんど分からなくても、国や文化が違っても、まあ、同じ人間だもの。言いたい事は、たいてい通じるものだ。一人で旅をしてきた私は、相田みつを的な温かい気持ちになった。

しかし、それは全くもって大きな勘違いであったことに、私たちが気が付くまで時間はかからなかった。お互いのジェスチャーが、1ミリも通じてなかったのを知って愕然とするのは、わずか10分後のことである。家にたどり着いた私は、自分の泊まる部屋を覗いて、サバンナでもアマゾンでも見たことのない奇妙な部屋に絶句することになった。つづく。

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ルーマニアの民家で、床を埋め尽くす60センチの物体の正体とは!? 次回もお楽しみに。

文/白石あづさ

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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白石あづさ
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