『おとなの週末Web』では、グルメ情報をはじめ、旅や文化など週末や休日をより楽しんでいただけるようなコンテンツも発信しています。国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。山下達郎の最終回は、筆者による楽曲ベスト3の紹介です。数多い名曲の中から選んだのは―――。
画像ギャラリースタジオの空き時間を”タダ”で貸してもらった
1枚1枚を時間をかけて、納得のゆくまで制作に没頭する。それが山下達郎のアルバム作りだ。とにかくスタジオに入る時間が長い。そのため、スタジオをまとめて予約する。
例えば、あるスタジオを24時間、丸1カ月予約してしまう。好きな時間にやって来て、好きなだけレコーディングする。だから、山下達郎のアルバム制作費は高い。それが常識だった時代があった。
スタジオに来ない時もある。そのスタジオは押さえられているので空いたままだ。1990年代、東京は麻布の名門スタジオ、サウンド・シティを山下達郎が借り切っていた。当時、ぼくは女性シンガー・ソングライターをプロデュースしていたが、ぼくの予算ではサウンド・シティは高価過ぎて、制作コストに見合わないので借りられない。そこで、山下達郎がスタジオに来ない空き時間を無料で貸してもらったことがあった。
「BLUE VELVET」 ヴォーカリストとしての矜持と職人としての誇り
数ある山下達郎の名アルバムの中から3曲を選ぶのは難しい。それでも1980、1986、1999年と3部に渡ってリリースされた『ON THE STREET CORNER』からの曲がまず浮かぶ。どの曲も素晴らしいのだが、『ON THE STREET CORNER 1』に収められた「BLUE VELVET」を選ぶ。彼が大好きなザ・クローヴァーズに捧げた曲で、トニー・ベネット、ボビー・ヴィントンなどもヒットさせている。
「BLUE VELVET」に限らず『ON THE STREET CORNER』シリーズの収録曲は、すべて山下達郎のア・カペラによる多重和声録音だ。ある1曲を歌うと、そこにハーモニーをかぶせて、さらにその上にハーモニーをかぶせてという作業を繰り返して、ようやく楽曲が完成する。
何しろひとりで24声とかを重ねてハーモニーを作ってゆくのだから、1曲の完成に何時間もかかる。時には夢中になって夜明けを迎えることもあると言う。山下達郎のヴォーカリストとしての矜持と職人としての誇りが凝縮されたものが『ON THE STREET CORNER』シリーズなのだ。
かつて、山下達郎はこう語った。
“『ON THE STREET CORNER』を作るために、普段はポップスの職人としてヒット・アルバムを作っているんだ”
「WINDY LADY」 デビュー・アルバムがいきなり海外録音
ぼくの好きな山下達郎の曲、その2は1976年のデビュー・アルバムに収められた「WINDY LADY」だ。デビュー作『CIRCUS TOWN』は、ニューヨークとロサンゼルスで録音されている。デビュー・アルバムが、いきなり海外録音。そこに原盤元の期待がうかがえる。
バック・ミュージシャンも、アラン・シュワルツバーグ、ウィル・リー、ランディ・ブレッカーなど洋楽ファンならレコード・クレジットで眼にしたであろう、一流処も参加している。当時の洋楽レコードに負けない音質の素晴らしさと音楽的センスが、このアルバムと、「WINDY LADY」に詰まっている。
“街なかには何もないよ 愛なんてつかの間の幻さ”という歌詞も21世紀の現在を暗示している。
「蒼氓」 この曲を書くために山下達郎は生まれて来たのではないか
3曲目は1988年のアルバム『僕の中の少年』に収められた「蒼氓(そうぼう)」だ。ちなみにタイトル曲は、彼が子供に捧げた曲のように思える。
「蒼氓」を聴いていて思うのは、山下達郎はこの曲を書くために生まれて来たのではないかということだ。彼の人生観、市井の民、庶民でありたいという願いが込められている。
“憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない 生き続ける事の意味 それだけを待ち望んでいたい”という歌詞の内容は、市井の民として音楽を作り続ける、山下達郎のメッセージだと思う。
“この道は未来へと続いている”
そう歌う山下達郎の呼びかけに心が揺さぶられる。
バックコーラスには、夫人の竹内まりや、桑田佳祐、原由子が参加している。今から33年前の曲だが、古さはまったく無い。日本のポップスの高みを極めた名曲だと確信する。
山下達郎の名盤の数々。1980年の『RIDE ON TIME』(中央上)は、同名シングルの大ヒットを受けて制作された
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。
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【連載第1回】山下達郎はなぜ「アーティスト」と名乗らないのか 音楽の達人“秘話”・山下達郎(1)
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