スタジオの空き時間を”タダ”で貸してもらった
1枚1枚を時間をかけて、納得のゆくまで制作に没頭する。それが山下達郎のアルバム作りだ。とにかくスタジオに入る時間が長い。そのため、スタジオをまとめて予約する。
例えば、あるスタジオを24時間、丸1カ月予約してしまう。好きな時間にやって来て、好きなだけレコーディングする。だから、山下達郎のアルバム制作費は高い。それが常識だった時代があった。
スタジオに来ない時もある。そのスタジオは押さえられているので空いたままだ。1990年代、東京は麻布の名門スタジオ、サウンド・シティを山下達郎が借り切っていた。当時、ぼくは女性シンガー・ソングライターをプロデュースしていたが、ぼくの予算ではサウンド・シティは高価過ぎて、制作コストに見合わないので借りられない。そこで、山下達郎がスタジオに来ない空き時間を無料で貸してもらったことがあった。
「BLUE VELVET」 ヴォーカリストとしての矜持と職人としての誇り
数ある山下達郎の名アルバムの中から3曲を選ぶのは難しい。それでも1980、1986、1999年と3部に渡ってリリースされた『ON THE STREET CORNER』からの曲がまず浮かぶ。どの曲も素晴らしいのだが、『ON THE STREET CORNER 1』に収められた「BLUE VELVET」を選ぶ。彼が大好きなザ・クローヴァーズに捧げた曲で、トニー・ベネット、ボビー・ヴィントンなどもヒットさせている。
「BLUE VELVET」に限らず『ON THE STREET CORNER』シリーズの収録曲は、すべて山下達郎のア・カペラによる多重和声録音だ。ある1曲を歌うと、そこにハーモニーをかぶせて、さらにその上にハーモニーをかぶせてという作業を繰り返して、ようやく楽曲が完成する。
何しろひとりで24声とかを重ねてハーモニーを作ってゆくのだから、1曲の完成に何時間もかかる。時には夢中になって夜明けを迎えることもあると言う。山下達郎のヴォーカリストとしての矜持と職人としての誇りが凝縮されたものが『ON THE STREET CORNER』シリーズなのだ。
かつて、山下達郎はこう語った。
“『ON THE STREET CORNER』を作るために、普段はポップスの職人としてヒット・アルバムを作っているんだ”