「細野晴臣があまり弾かない楽器は何か」と訊ねられ
天才は天才を見抜ける。横尾忠則はテープを聴いて感動してくれた。そこで、ジャケットを何とかお願いしたいが、ギャラは20万円しか無いと話した。そうしたら、ギャラはいらない。レコード売上げから印税2%をくれればいいからという嘘みたいな答えが返ってきた。条件は、印刷の色見本をOKを出すまで検討させて欲しい。色見本が駄目なら、何度もNGを出すから、というものだった。
思いもかけない破格の条件で了承してくれた横尾忠則から、ぼくに質問があった。それは“細野晴臣という人を知っているか?どんな人か?”という問いだった。ぼくは細野晴臣の天才を語り、人間的にも抜きん出た人だと説明した。ベース、ギターなどあらゆる楽器の達人でもあると言い添えた。
すると、横尾忠則は、細野晴臣から新作のプロデュース及びジャケットの制作を依頼されていると教えてくれた。追加の質問で、細野晴臣があまり弾かない楽器は何かと訊ねられた。ぼくは鍵盤楽器を演奏しているのはあまり見たことが無いと答えた。横尾忠則は黙ってうなずいた。
この時の話が現実化したのはすぐだった。細野晴臣&横尾忠則名義で『コチンの月』というアルバムが間もなくリリースされた。現在ではYMOサウンドを予測させたアルバムとしても『コチンの月』は知られている。
ストレスで下痢……「完成したのが不思議なくらい」
『コチンの月』の発売後、細野晴臣にインタビューする機会が訪れた。”横尾さんとのコラボレーションですね”とぼくは訊いた。
”そうなんだよ、大変だったよ。横尾さんと会ったら、細野くん、君はどんな楽器が得意ですかって訊ねられてね。だから、いちばん得意なのはベースで、弦楽器ならだいたいOKで、打楽器でも大丈夫ですと答えたんだ。そうしたら今度は、じゃあ、いちばん苦手な楽器は何ですか?と訊かれたんだ。で、キーボードですね。見ているだけで、体調がおかしくなると言ったんだよね”
その話を聞いた横尾忠則は、それならオール・キーボードでアルバムを作ろう、そうしたらジャケットもプロデュースも引き受けると言った。きっと、芸術家を追い込むとか何かとんでもないものが生まれると横尾忠則は考えていたのだと思う。
“参ったなと思ったけど、横尾さんと仕事できるなら、いいかなと考えて、オール・キーボードで初めて作ったんだな、これが。大変なんてもんじゃなかった。横尾さんと一緒にインドへ行ったんだけど、水や食べ物が合わないのか、ずっと下痢状態。いざ、キーボードに向かってみたら、今度はストレスで下痢。完成したのが不思議なくらいだよ”
『コチンの月』は、古くからの細野ファンを除くと、セールス的には地味だったかも知れない。だが、後にYMOとなる坂本龍一が参加し、YMOのサウンド・クリエイターとなる松武秀樹も参加。オール・キーボードによる、きらびやかなインド絵巻といえるサウンドは、YMOイメージのスタートでもあった。
岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約350万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。
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