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『おとなの週末Web』では、グルメ情報をはじめ、旅や文化など週末や休日をより楽しんでいただけるようなコンテンツも発信しています。国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。細野晴臣の第3回では、1970年代後半から80年代前半にかけ、大ブームを巻き起こした「YMO」のエピソードが登場します。YMOの人気に火が付く直前、細野晴臣が語った貴重な証言です。

祖父は、悲劇のタイタニック号からの生還者

細野晴臣は1947年、東京都港区白金台に生まれた。小学校2年からピアノを習い、高校から私立の立教高校に入った。その頃の団塊世代にしては恵まれた環境に育ったと言っていいだろう。母方の祖母は中谷(なかたに)孝男といって、ピアノの調律師で、ピアノ工学とか音響理論の権威だった。幼い細野晴臣は、その仕事ぶりを見るのが好きだった。

父方の祖父は細野正文(まさぶみ)といい、鉄道院副参事の時にタイタニック号に乗船した。1912年、氷山に衝突して沈没した、あのタイタニック号だ。約2200人の乗客乗員のうち、約1500人が犠牲になった。日本人唯一の乗船者で生存したのが、細野正文だった。細野は「悲劇のタイタニック組曲」という楽曲を残している。

“ふたりの祖父からの影響は、結構大きかったと思う。ふたりがいなければ、自分は生まれてなかったしね”とインタビューで語ったことがあった。

それにしてもタイタニック号唯一の日本人乗船者にして、数少ない生存者が祖父なんて、絵に描いた偶然のように思える。

細野晴臣の名盤の数々。2021年2月リリースの『あめりか』は、2019年のアメリカ公演を収録したソロ名義では初のライヴ盤

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それまでとは一見かけ離れたサウンド 「自...
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