祖父は、悲劇のタイタニック号からの生還者
細野晴臣は1947年、東京都港区白金台に生まれた。小学校2年からピアノを習い、高校から私立の立教高校に入った。その頃の団塊世代にしては恵まれた環境に育ったと言っていいだろう。母方の祖母は中谷(なかたに)孝男といって、ピアノの調律師で、ピアノ工学とか音響理論の権威だった。幼い細野晴臣は、その仕事ぶりを見るのが好きだった。
父方の祖父は細野正文(まさぶみ)といい、鉄道院副参事の時にタイタニック号に乗船した。1912年、氷山に衝突して沈没した、あのタイタニック号だ。約2200人の乗客乗員のうち、約1500人が犠牲になった。日本人唯一の乗船者で生存したのが、細野正文だった。細野は「悲劇のタイタニック組曲」という楽曲を残している。
“ふたりの祖父からの影響は、結構大きかったと思う。ふたりがいなければ、自分は生まれてなかったしね”とインタビューで語ったことがあった。
それにしてもタイタニック号唯一の日本人乗船者にして、数少ない生存者が祖父なんて、絵に描いた偶然のように思える。