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「しろくま」アイスのこだわりとは?

ということで、丸永製菓関東工場に再び潜入してきました。白熊製造ラインに入ってまずびっくりしたことは、これだけオートメーション化されている時代に、手作業でアイスの具材を丁寧に手作業でトッピングしています。

アイスは職人の丁寧な手作業で製造されている

具材が輸送中にカップの中で踊らないように練乳で具材を動かないように固定されているのも目から鱗です。

しろくまアイス

広報担当者によると、「南九州でカキ氷メニューとして根付いていた「白熊」を元に商品化したしろくまアイスですが、出来立てのかき氷はスプーン通りが良くたべやすいです。ただ単に、ミルク味のかき氷の上に小豆やいろいろなフルーツがトッピングされたしろくまアイスを作るだけではなく、食べやすさにもこだわり、氷に空気を混ぜ込みながら冷却することでなめらかな舌触りを実現させました」とのこと。

しろくまスプーン上げ

確かに、凍っているのにスプーン通りが良いです。

九州名物が全国区になったきっかけとは?

「発売当初、九州を中心に販売していましたが、90年代全国のコンビニエンスストアに採用されたことをきっかけに販路が拡大。それに伴い、全国の販売拠点の整備をしました。2001年には札幌。2002年には東京・名古屋。2004年大阪・広島。2005年には仙台、と順次営業所を開設しましたが、全国展開の波に乗り、福岡・久留米工場だけでは生産が追い付かなくなり、2003年には栃木県に関東工場が竣工。中部以東の東日本地区への生産拠点を確保しました」(広報担当者)

丸永製菓の全国展開の拠点となる関東工場

つまり、今回お邪魔している丸永製菓関東工場ができたことにより、しろくまアイスが全国区になり、ロングセラー商品にさせたということになります。

エックス線検査による異物混入防止など厳しい規格をパスしたことで、輸出のハードルが高いと言われているアメリカとの取引が開始にも繋がりました。関東工場は今後もリニューアルを行い、生産体制を強化する予定だそうです。

なぜ、永渕(ながふち)製菓ではなく、丸永製菓?

ちなみに丸永製菓は1933年に永渕製菓所として創業しました。1956年に丸永製菓と名称変更をするわけですが、いったい何故「まるなが」という社名になったのでしょうか?

「私たちは◯(まる)に永で丸永製菓。丸は円を表し、途切れない永遠の永をとって丸永。つまり『永遠に途切れることなく繁栄していく』という願いも込めております」と広報担当者が笑顔で教えてくれました。

最後に…。アイスの新商品は3年以内で結果を出さなければ、終売になっていたが、コンビニエンスストアの影響が強い近年では、2週間で店頭から無くなる新商品もあります。そんな中で50年以上も売れ続けるロングセラー商品に触れ、改めて愛されるアイスを作り続けられることが難しいかということに気づかされました。

文・写真/シズリーナ荒井、写真提供/丸永製菓(アイス製造ライン)

シズリーナ荒井

初めてアイスを食べたのは“1歳1ヵ月”(証拠映像資料有り)。人生で52,000個以上ものアイスを食べた記録を保持するアイスマニアであり、日本一アイスを愛するスーパーアイスマン。

どうしたらより美味しくアイスクリームを食べられるかを真剣に考え、氷菓子(アイス、ソフトクリーム、ジェラート、かき氷)の研究を開始。氷菓子は原材料が同じでありながら製品温度が異なることで感じ取れる味が違うことを発見!

食べ方をデザインする“イートデザイナー”として市販アイスのアレンジレシピや企業同士の商品コラボを手がけており、“かけ合わせグルメ”「雪見カレーヌードル」の考案者として、SNSで話題に!

年間4,000種類以上のアイスクリームをテイスティング。アイス現場のすべてを知りつくすアイスジャーナリストとして活躍中!2021年6月には著書『コンビニ&スーパーのアイスが極上スイーツに! 魔法のアイスレシピ』(KADOKAWA)を出版。

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シズリーナ荒井
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