おとなの週末的クルマ考

アルシオーネはデザイン、メカ、装備のすべてが斬新なスバルの超意欲作も笛吹けど踊らず……

今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた199…

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第5回目に取り上げるのはスバルが初めて作ったスペシャルティカーのアルシオーネ。悲運の一台にスポットを当てる。

祖父に刷り込まれた富士重工のイメージ

私は広島県呉市出身。だから小学生の頃はクルマといえば東洋工業(現マツダ)というイメージが強かった。そしてその次が富士重工だった。片田舎の小学生が、トヨタや日産じゃなくて富士重工のスバル車なのはなぜ? と思うだろう。実際当時の小学校の友だちは誰ひとり知らなかったのに私が知っていたのは、祖父(母方)から教えてもらった、というよりも刷り込まれたといったほうがいいだろう。

その祖父から、「クルマは富士重工が一番いい。のぶくんも大人になったら富士重工のクルマを買いなさい」とよく言われていたのだ。祖父はクルマに詳しいわけでもない。ただ呉海軍工廠で働いていたことを誇りに生きてきた人だったので、戦闘機を作っていた中島飛行機つながりで、スバル車が一番いいというイメージを持っていたんだと思う。それがわかったのは大学に入ってからだが、スバル車はいい、というイメージは確実に私の中に植え付けられていた。

中島飛行機をルーツを持つ富士重工は1958~1970年の12年間にわたり販売された360のヒットにより自動車メーカーとしての地位を確立した

富士重工は日本の航空機製造会社だった中島飛行機をルーツに持ち1954年に設立されスバルブランドのクルマを製造・販売。2017年4月1日から社名をSUBARU(スバル)に変更して現在に至る。

しかし残念ながら、スーパーカーブームの後、中学校、高校とどんどん自らのクルマ濃度は高まってきたが、それと逆行するようにスバル車への興味は薄れていった。なぜか? 当時はスバル車=レオーネというイメージしかなかった。世界初の4WDとか言われても、そもそも4WDの凄さがわかっていないため馬の耳に念仏状態だったのだ。スーパーカーブームを経験していて免許がない高校生には見て興奮するかどうかが一番重要なのだが、レオーネのデザインは武骨で地味に感じて、1mmもピクリとこなかった。今見ると味があっていいんだけど……。

写真はアルシオーネのデビューの前の年、1984年にデビューした3代目レオーネ。4WDセダン&ワゴンで世界で愛されたが、高校生にはその魅力はわかりづらかった

宇宙船にしか見えなかったデザイン

スバル車に対するイメージがいいクルマから地味なクルマへと変貌した経緯を述べてきたが、私が大学受験に失敗して浪人中だった1985年にアルシオーネがデビューした。日本では6月だったが、その年1月のデトロイトショーで正式発表され、発売開始も日本よりも北米が先だった。

車名は北米ではスバルXT、日本ではアルシオーネ、欧州ではボルテックスと仕向け地によって変えられていた。日本名のアルシオーネは、プレアデス星団(和名:すばる)で一番明るい星であるラテン語のALCYONE(アルキオネ)を英語読みにしたものというのは有名。話は飛ぶが、スバルスターズって知っている? モーターショーやイベントで活躍している女性たちだが、その前身はミスアルシオーネ。で、驚くのはミスアルシオーネはアルシオーネがデビューするよりも前の1982年から存在している。

日本に先駆けて発表・発売となった北米仕様のXT。このエッジの効いた直線基調のデザインは当時では異彩を放っていた

アルシオーネはスバル初のスペシャルティカーで、今見ても目を引くウェッジシェイプ(くさび型)のフォルムがセールスポイントだ。このデザインは当時も肯定派と否定派の賛否両論あった。私はカッコいいとは思わなかったが、地味で実直なスバルが、コンセプトカーみたいなデザインのクルマが登場させたことに驚いた。

実は私がアルシオーネの実車を始めてみたのは、大学入学後上京してから。広島にいる時は一度も見たことがなかった。生アルシオーネを見た感想は、「宇宙船みたい」。それほど新しく未知の領域だったということだ。

デザインスケッチをそのまま商品化したかのような斬新なエクステリアデザイン。低いボンネット、せり上がったリアにかけてのウェッジシェイプが斬新だった

デザインにガンディーニが関与!?

アルシオーネのデザインは、北米富士重工の社長が、「ジャガーアスコットのようなクルマを作ってほしい」というリクエストがあったという。アスコットとは、イタリアの自動車工房『ベルトーネ』に在籍していたマルチェロ・ガンディーニ(1938~2024年)がジャガーXJ-Sをベースにデザインして1977年に発表されたコンセプトカーだ。ガンディーニはランボルギーニミウラ、カウンタック、ランチアストラトスをはじめ多くの市販車、コンセプトカーをデザインしたイタリアデザイン界の鬼才で、2024年3月13日に逝去、享年85。

1977年に発表されたジャガーアスコット。XJ-SのV12搭載モデルをベースにベルトーネ在籍時代のガンディーニがデザインしたコンセプトカー

アルシオーネは当時のどんなクルマよりもエッジをきかせたデザインで、今で言えばペキペキデザインのテスラサイバースポーツくらい異彩を放っていた。ただアルシオーネのデザインはインパクト狙いではなく、ウェッジシェイプのプロポーション、格納式のリトラクタブルヘッドライト、尖ったフロントノーズ、低いボンネット、傾斜のきつく寝たピラーはエアロダイナミクス(空力)を追求した結果だ。ちなみにアルシオーネは2024年3月時点でリトラクタブルヘッドライトを採用した最初で最後のスバル車だ。

富士重工の空力に対する徹底ぶりは凄まじく、ドアノブもボディとツライチにデザインされていた

そして日本車としては初めてCd値=0.29を達成。1980年代の空力ブームの主役であるアウディ80のCd値は0.29で、アルシオーネの1年後のデビューということを考えると富士重工の先見性、アルシオーネの先進性に驚かされる。またアルシオーネのデビュー後、日本車も空力追求が顕著になり、Cd値を大々的にアピールするようになったと記憶している。アルシオーネこそ日本車の空力のパイオニアだ。

インテリアもエクステリアに負けず劣らず斬新

インテリアでは、まず非対称で独特のスポーク形状のステアリングが斬新すぎる。仲間内ではピストル型スポークと呼んでいた。ガングリップタイプのATシフトレバーはカッコよかったし、ステアリング両サイドにスイッチ類を集積させたコントロールウイングは操作性にも優れていた。

独特のデザインのスポークを配したステアリング。中央のホーンボタンの横はクルーズコントロールのスイッチ。ステアリング両サイドに操作系を集積

傾斜したセンターコンソールなどインパネ全体のデザインも新しい造形で、質実剛健の富士重工からは想像もできない突き抜け方だった。絶壁インパネと揶揄されていた日産車とはえらい違い。オプション設定の液晶デジタルメーターが、初期のレースゲームの画面のようでちょっと子供っぽかったのがたまにキズ。

シート、インテリアカラーはスポーティさよりもラグジュアリーさを追求。このアングルからだとAピラーが異常なまでに寝ているのがよくわかる

富士重工の技術を惜しげもなく投入

アルシオーネに搭載されたエンジンは、1.8L、水平対向4気筒ターボの1種類のみ。これはレオーネとまったく同じエンジンながら、ボンネットが低いため補器類の配置は全面的に見直されたという。当時のインプレッション記事を読み返してみると、「エンジンの基本設計の古さにより、クルマのスペシャル感がスポイルされている」、とある。

トランスミッションは5MTと3AT。プレリュードなどのスペシャルティカーのライバルは4ATが当たり前だったため、これは見劣りした。

駆動方式はFF(前輪駆動)と富士重工の十八番の4WD(四輪駆動)。デビュー時の4WDシステムは、2WDと4WDを自動で切り替えるAUTO-4WDというものだった。

そのアルシオーネは1987年に新開発の2.7L、水平対向6気筒エンジンの追加、前後輪の駆動力を自在に変えられる電子制御アクティブトルクスプリット4WD、4ATの新採用など、非常に大掛かりなマイチェンを受けリフレッシュされた。

1987年のマイチェンで追加された2.7L、水平対向6気筒エンジン。このフラット6の追加と同時に3ATから4ATに進化したが、販売のテコ入れにはならず

特に水平対向6気筒+トルクスプリット4WDは、ポルシェ959と同じということで、安く買えるポルシェ959と言われていた。そのほか、水平対向6気筒エンジンゆえ、『アルシオーネはポルシェを超えたのか?』というテーマで、いろいろなクルマ雑誌が企画を展開していたのも懐かしい。超えてはなかったが……。

トップグレードには自動で車高を一定にするオートレベリング機能付きのエアサスが標準装備されたことなど、とにかくアルシオーネには富士重工が当時持っていた技術が惜しげもなく投入されていた。

ともにフラット6エンジンを搭載するということで、価格帯は度外視してアルシオーネ対ポルシェという企画がいろいろなクルマ雑誌で展開されていた

日本での累計販売台数は約8000台

アルシオーネは1985年6月から1991年9月まで富士重工のフラッグシップクーペとして販売された。1991年9月の販売終了と同時に、後継モデルであるアルシオーネSVXにその座を譲った。気になる販売台数は表のとおりで、6年3カ月で8027台。言い方は悪いが、たった8027台しか売れなかった。富士重工はスペシャルティクーペ市場に意気込んで新規参入したものの、惨憺たる結果となった。

要因はいくつもあるが、スバルは今でこそマニアックでニッチなクルマ作りが評価されてプレミアムブランドとしてポジションを築きつつあるが、1980年代はスバリストと呼ばれる熱狂的なファンを除き、知名度は低くブランド力も低かった。

アルシオーネはフロントのAピラーとリアのCピラーが同じ角度でデザイン。2ドアクーペとしては珍しい

それからライバルの存在。アルシオーネがデビューした1985年は、スペシャルティクーペでは初代トヨタソアラ、2代目トヨタセリカXX、2代目プレリュードが大人気だったし、ソアラに関して言えば、アルシオーネがデビューした半年後には爆発的ヒットモデルとなった2代目が登場している。

さらに、1985年8月には7代目日産スカイライン(通称セブンス)がデビューして、百花繚乱の賑わいを見せていた時期だ。ふたを開けてみればセブンスは大不評だったが、代わりにハイソカーブームを背景にトヨタのマークII/チェイサー/クレスタの3兄弟が大ヒットして若者を魅了するなど、富士重工&アルシオーネの付け入るスキがなかったというもの不運だった。

ただ、前述のように空力の先鞭を付けたり、雨の日に自動で2WDから4WDに切り替える機能を4WDに与えたり、操作類を集積させるインターフェイスなど、現代に通じるクルマ作り、安全性など、富士重工のクルマだけでなく日本車全体にも大きな影響を与えたことは間違いない。

リアエンドはスパッと潔く切り落としたデザイン。アルシオーネの曲線はホイールアーチとマフラー口くらい。左右一文字のリアコンビは今風のデザイン

【アルシオーネXV主要諸元】
全長4510×全幅1690×全高1335mm
ホイールベース:2465mm
車重:1300kg
エンジン:2672cc、水平対向6気筒SOHC
最高出力:150ps/5200rpm
最大トルク:21.5kgm/4000rpm

価格:258万7000円(4AT)

【豆知識】
アルシオーネSVX(以下SVX)はアルシオーネの後継モデルとして1991年9月にデビューし、1996年に生産終了。SVXのデザインはジウジアーロが手掛け、流麗なプロポーション、全面ガラスのキャノピーは今見ても凄い。珠玉のユニットと誉れ高い3.3L、水平対向6気筒エンジン+トルクスプリット4WDにより走る場所を選ばないスポーツクーペとして評価も高かったが販売面で苦戦。中古車のタマ数は少ないが今でも人気が高い!!

アルシオーネの名前は冠されているが、上級クラスに移行。全面ガラスのキャノピー採用のためサイドウィンドウの開口部は狭い

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/SUBARU、ベストカー

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