天皇、皇后両陛下の地方ご訪問を心待ちにしている。行く先々で奉迎に訪れた人たちからは、そんな思いを感じる。両陛下は、必ず年に4回は地方へのご訪問が予定されている。「四大行幸啓(よんだいぎょうこうけい)」と呼ばれる公式行事へご出席されるためだ。行く先々の沿道には、日の丸の小旗を手にした老若男女が集い、言葉にはできない心からの歓迎の表れは、両陛下にも伝わっていることだろう。
画像ギャラリー天皇、皇后両陛下の地方ご訪問を心待ちにしている。行く先々で奉迎に訪れた人たちからは、そんな思いを感じる。両陛下は、必ず年に4回は地方へのご訪問が予定されている。「四大行幸啓(よんだいぎょうこうけい)」と呼ばれる公式行事へご出席されるためだ。行く先々の沿道には、日の丸の小旗を手にした老若男女が集い、言葉にはできない心からの歓迎の表れは、両陛下にも伝わっていることだろう。
「行幸啓」とは?
春の「全国植樹祭」、秋の「国民スポーツ大会(令和5年までは国民体育大会)」、「国民文化祭」、「全国豊かな海づくり大会」のことを指す造語で、天皇、皇后両陛下のご出席が伴う“国民的行事”のことである。戦後、昭和天皇の時代に始められたもので、当初は全国植樹祭と国民体育大会の二つだった。平成の時代は、上皇陛下が皇太子時代から出席されていた海づくり大会をそのまま引き継ぎ、「三大行幸啓」となった。そして令和の現代では、同様に国民文化祭が加わり「四大行幸啓」となっている。
そもそも、「行幸啓」って何? と思われた読者もいるのではないだろうか。行幸啓とは、天皇、皇后両陛下の「外出を伴うご一緒のお出まし」を意味する宮廷用語で、天皇陛下おひと方では「行幸(ぎょうこう)」、同様に皇后陛下おひと方では「行啓(ぎょうけい)」。秋篠宮皇嗣殿下や宮家皇族方は「お成り(おなり)」といい、愛子内親王殿下も「お成り」である。
植樹のきっかけは昭和天皇
戦後、先の大戦により荒廃した国土を復興させる緑化運動の一環として1950(昭和25)年から「植樹行事並びに国土緑化大会(山梨県)」として始められた行事で、昭和天皇が1947(昭和22)年に全国御巡幸で富山県を訪れた際に「植樹」を行なったことに端を発する。以来、2024(令和6)年の岡山県開催で74回を数え、2020(令和2)年の開催では新型コロナウィルス流行の影響を受けて中止、順延となったため、開催年数としては75年を迎えた。
植樹祭でお手植え、「お手播き(おてまき)」された木々は、その成長に合わせた数年後に開催される「全国育樹祭」という行事でお手入れや枝払いなどが行われ、この行事には歴代の皇太子(現在は皇嗣)殿下が出席されている。
雅子さまが初めて岡山へ
天皇、皇后両陛下は、2024(令和6)年5月25日から一泊二日のご日程で、第74回全国植樹祭へご臨席、あわせて地方事情ご視察のため岡山県をご訪問された。天皇陛下の岡山県ご訪問は、皇太子時代を含めて3度目となり、皇后雅子さまは、皇室に入られてからは初となるご訪問となった。
1日目は空路、全日空特別機で昼過ぎに岡山空港へ到着されたのち、岡山駅前のANAクラウンプラザホテル岡山で岡山県知事から県政概要をお聞きになった。ご昼食後は、岡山県立岡山工業高校へ移動され、同校の生徒から地域連携活動に関する説明を受けられたほか、岡山市ジュニアオーケストラの演奏に耳を傾けられた。演奏後の奏者とのご懇談では、チェロを弾いていた15歳の女子中学生に「何歳からはじめられたのですか」と雅子さまが質問すると、「10歳です」とお答えに。すると雅子さまは「愛子と同じだわ」とおっしゃられ、周囲の関心を集めた。
お忍びで伯母さまのもとへ
天皇陛下は25日のご公務を終えられた20時過ぎ、上皇陛下の姉上である池田厚子(いけだあつこ)さんの邸宅をお忍びで訪れた。厚子さんは昭和天皇の第四皇女で、1952(昭和27)年、池田隆政さん(故人)と結婚し岡山へ。順宮厚子内親王(よりのみやあつこないしんのう)を御降嫁されるまでは名乗られていた。御年93歳ながら、邸宅に併設する「池田動物園」の園長でもある。過去には、伊勢神宮の祭主でもあった(現在の祭主は黒田清子さん)。最近では、体調が思わしくないというご事情もあり、天皇陛下はお見舞いに訪れたようだ。きっと、上皇陛下から預かったお言葉を伝えられたのではないだろうか。
“晴れの国”での全国植樹祭
岡山県は、降水量が1mm以上の日が全国一少ないことから「晴れの国おかやま」と呼ばれており、植樹祭の大会テーマも「晴れの国 光で育つ 緑の心、第74回全国植樹祭 岡山2024」と銘打って開催された。両陛下は、26日午前10時30分過ぎに式典会場である岡山県総合グラウンド体育館「ジップアリーナ岡山」に到着された。
式典会場は、屋外で行われることがほとんどなのだが、前開催となる1967(昭和42)年の時は天候不良により式典会場を使用することができなかった、という苦い思いをしており、「(岡山県としては)同じ轍は踏みたくない」という理由から、今回は屋内会場での開催となった。屋内会場で行われたケースは過去にもあり、今回だけ特別という訳ではないそうだ。
式典では、天皇陛下は「おことば」を述べられ、両陛下お揃いで「お手植え」と「お手播き」を行なうのが慣例になっている。
お手植え、お手播きされた品種は、天皇陛下がアカマツ、ヒノキ、スギ。雅子さまがクロガネモチ、アテツマンサク、キクザクラ。お手播きは、天皇陛下がヒノキ、スギ。雅子さまがヤマザクラ、イロハモミジであった。式典は正午過ぎに終わり、両陛下はご昼食のため、昨日と同じホテルへと戻られた。
両陛下はご昼食ののち、再び14時30分過ぎにホテルをお発ちになり、岡山市から40km離れた岡山県倉敷市真備(まび)町へと向かわれた。2018(平成30)年7月に発生した豪雨災害の被災地での復興状況を御視察されるためだった。
まびふれあい公園に到着された両陛下は、倉敷市長から「この公園は、小田川が決壊した場所に整備したものです。」と説明を受けると、感慨深げなご様子で周囲を見渡していた。説明を聞き終わると両陛下は、被災地域に向かって黙とうされた。
その後、持ち家が全壊した70代の住民らとご懇談が行われ、雅子さまは、「被害にあわれたからこそ、相手の気持ちがわかりますね」とやさしい声をかけられた。
両陛下は、ご懇談を終えると岡山空港へと向かわれ、帰京の途についた。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。