スバル360のコンポーネントを使って誕生した軽商用車のサンバーバン&トラックは、2012年2月29日でオリジナルモデルの生産を終了し、多くのファンが嘆き悲しみました。現在はダイハツハイゼットのOEV車として販売されていますが、サンバーと言えばやっぱりオリジナル!!
画像ギャラリー今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第21回目に取り上げるのは、スバルサンバートラック&バンだ。
スバル360をベースとした商用車
サンバーは富士重工(現スバル)の軽商用車で、現在販売されているモデルはサンバー史上で言えば8代目となる。初代から一貫してトラックとバンをラインナップしている。
初代サンバーは国民車構想から生まれたスバル360の基本構造を踏襲して、専用のラダーフレームを採用して3年後となる1961年に登場している。
初代サンバーのチーフエンジニアは、スバル360の開発責任者だった百瀬晋六氏だった。
リアエンジンリアドライブがアイデンティティ
1BOXタイプやトラック系の商用車は、運転席のシートにエンジンを搭載して後輪を駆動する後輪駆動(FR)レイアウトが一般的ながら、サンバーはスバル360のコンポーネントを使ったこともあり、リアの車軸の後方にエンジンを搭載して後輪を駆動する独自のリアエンジンリアドライブ(RR)レイアウトを採用。
このRRこそサンバーのアイデンティティとなり、スバルのオリジナルサンバーでは一貫してこのRRレイアウトを踏襲し続けた。
デザインはボンネットのないモノフォルムで、下唇を突き出したようなファニーなフロントマスクが個性を際立たせていた。通常ドアは前にヒンジが装着され、ドアの後部から車内に乗り込むが、初代サンバーは後ろにヒンジを装着した前開きのスーサイドドアを採用(←ロールスロイスと同じ!!)。
農道のポルシェ
サンバーは農道のポルシェと言われていたが、それはリアエンジンリアドライブのポルシェ911に由来している。農道を走るRR車ということだ。RX-7が944とコンセプトが似ていたことからプアマンズポルシェ(安価にポルシェの性能が手に入るクルマ)と表現されていた。
和製フェラーリ(フェラーリルックの日本車という意味で三菱GTOなどがあり)やプアマンズポルシェという言葉には、ポルシェの性能が安く購入できるという賛辞のいっぽうで、所詮は安いクルマ、ポルシェにはなれないといった揶揄が含まれているのに対し、サンバーの農道のポルシェは、最大級の賛辞に近く、オーナーも、「ポルシェは狭い農道を自在に走ることはできないが、サンバーは自在」と誇らしげだった。
ちなみに軽トラックでは、農道のフェラーリと言われたのがホンダアクティ。これも駆動レイアウトがリアミドにエンジンを搭載して後輪を駆動することから根付けられていた。同じホンダのミドシップスポーツのNSXから、農道のNSXと呼ぶ人もいた。
初代のコンセプトを頑なに守った
初代サンバーの特筆点は、日本車に4輪独立懸架が一般的ではなかった1960年代初頭にすでに採用していた点だ。高級乗用車の専売特許でもあった4輪独立懸架を軽自動車、それも商用バンとトラックに採用していたのは異例だった。
この4輪独立懸架によりサンバーはライバルとはひと味違った乗り心地のよさがセールスポイントとなっていた。私は世代的にも初代サンバーは一度も運転したこともないためそのアピールポイントが本当か誇張だったのかは知らない。しかし当時としてはかなり画期的にいい乗り心地だったようだ。これは私が現在住んでいる近くの初代サンバーを廃車になるまで業務で使い倒したというガラス屋さんに確認ずみ。
ガラスが割れない
初代サンバーはどのような魅力を持っていたのかについてのご主人の体験談をお披露目しておく。以下はその貴重な証言だ。
1960年代初めころは業務用としてマツダのオート三輪のT2000を使っていて積載性もいいし満足していたが、最大の問題点は転倒。クルマが転ぶなんて、と思うかもしれないが、フロント1輪の不安定さから、オート三輪の転倒事故は特別に珍しくはなかった。ガラス屋としては転んでは商品がダメになってしまうが、ウチのオヤジも2回ほど転んで大損していた。
そんな時に初代スバルサンバーがデビュー。軽商用トラックということで荷室が小さくなるので、買い足してマツダT2000と併用することになった。
取り回しも楽でナイス
富士重工は中島飛行機を前身とする自動車メーカーだったが、メジャーな存在じゃなかったし、正直あまり期待はしていなかった。
マツダT2000は進化・改良によってよくなっていたというが、乗り心地はゴツゴツしていたし跳ねる感じだった。T2000しか乗ったことがなかったので、トラックなんてこんなものと別に不満はなかったが、初代サンバーに比べると格段に乗り心地がいい。
でも乗ってすぐに認識が変わった。ボディが小さいのでT2000よりピョンピョン跳ねるのかと思いきや乗り心地がいいのに驚いた。乗り心地がいいのは、すなわちデッキに搭載した荷物にも優しい。割れ物を扱うガラス屋としてはこれに勝るものはない。
あと、世田谷区の住宅街は昔から細い道、入り組んだ道が多いのだが、初代サンバーは取り回し性にも優れていた。そんなこともあって、廃車にするまで20年以上乗り続けた。
ただクルマは頑丈だったが、弱点は塗装。1980年代まで富士重工のクルマは塗装がよくない、というのは本当で、塗装の劣化が激しくて2回くらい自分で塗り直した。
通称がユニーク
初代のヒットにより軽商用バン&トラックとしての地位を確立したサンバーは、1966年にフルモデルチェンジを受けて、何のひねりもない超ストレートな「ニューサンバー」というキャッチフレーズで2代目が登場。初代からキープコンセプトだがよりも洗練されたデザインが与えられていた。前期モデルでは初代の特徴であったスーサイドドアは継承していたが、マイナーチェンジで前ヒンジの通常ドアに変更された。
サンバーはフルモデルチェンジしたら「ニューサンバー」、前ヒンジドアを採用してフロントグリルを立派した「ババーンサンバー」、サスペンションを強化してさらにフロントグリルを力強くした「すとろんぐサンバー」(←ひらがななのがキモ)といった具合にストレートかつユニークな通称が与えられた。
剛力サンバー登場!!
3代目サンバーは1973年に登場。エンジンは365㏄、直列2気筒2サイクルというのは初代、2代目と同じだったが、空冷から水冷に変更され2代目の20ps/3.2kgmから28ps/3.8kgmへと大幅スペックアップ。2代目からの流れで、これまた「剛力(ごうりき)サンバー」というユニークな通称が与えられた。
サンバーは初代、2代目はいかにも古臭くてクラシカルな商用バン&トラックという雰囲気だったが、3代目で一気に現代の軽商用バン&トラックに通じるボディ形状になったのも見逃せないポイントだ。
モデルライフ途中に新軽規格の変更
3代目サンバーは軽自動車規格の変更の間にあったモデルでもある。1976年1月施行の新軽自動車規格は、ボディサイズの大型化(全長3.00m→3.20m、全幅1.3m→1.40m)、エンジン排気量が360ccから550ccにアップというものだったが、サンバーについて富士重工は下記のとおり2段階に分けて新規格に対応させた。
・1976年2月:全長の延長&490ccに排気量アップ
・1977年5月:新規格に合わせた大型化されたボディ採用&544ccの水冷4サイクルエンジン搭載
それぞれ排気量に合わせて、「サンバー5」、「サンバー550」と呼ばれた。
3代目サンバーは画期的だった
3代目サンバーでは、軽商用バン&ワゴンで初の4WDが設定された(1980年)。1972年にレオーネエステートバンにパートタイム4WDを設定して、スバルといえば4WD、4WDといえばスバルというイメージを確立していたが、サンバーへの採用によりそのイメージは決定的となった。
これを歓迎する事業者は予想以上に多く、降雪地域を中心に農業従事者、土木作業者、デリバリー業者などの需要が大幅に拡大し、販売を大きく伸ばした。
赤帽とともに進化
4WDを設定するなど画期的な3代目サンバーだが、赤帽の存在は無視できない。赤帽とは全国赤帽軽自動車輸送協同組合連合会の通称で、軽貨物自動車での運送事業を全国的に展開。その赤帽が選んだのがサンバーだった。
赤帽は事業を拡大するにつれ、多くの荷物を積載し、高速道路異動も含め長距離を運転するようになり、その要求に合わせて富士重工は赤帽仕様のサンバーをラインナップ。
赤帽仕様のサンバーは、改良車ではなく国交省の型式を取得したモデルと言うのも特筆で、エンジンの専用チューニング、専用装備などが奢られていた。
赤帽の激務に耐える仕様、快適に業務を遂行するための装備などはすべて現場の声が反映された必要なもので多種多彩。赤帽専用4気筒EGIエンジン、パッド摩耗警報付フロントベンチレーテッドディスクブレーキ、収納式ハンドブレーキ、2段階開度リアゲート(パネルバン)、電源用ハーネス、高照度ルームランプ、専用デザイン&強化レザー表皮の専用シート、オーバーヘッドシャルフ、電動式リモコンドアロック、エアダム一体式フロントカラードバンパー、複合曲面ミラー&広角ミラー、デジタルツイントリップメーター、運転席側アームレスト一体式ドアポケット、専用装備のオンパレードだ。
営農サンバーも40年以上の歴史を誇る
スペシャルサンバーは赤帽だけじゃない。営農サンバー(現在のJAサンバー)も重要な一台。農作業に適した装備を充実させたモデルだ。営農サンバーが初めて登場したのは1981年だから、赤帽サンバーと同じ3代目の時だ。それから現在まで40年以上の歴史を誇り、カタログまで用意されている。
赤帽サンバーは走行性能、特にエンジンが強化されているのに対して営農サンバーは装備の充実がメイン。荷台のアルミブリッジ対応型アオリ・ゲートチェーン、折り畳み式鳥居ストッパー、ブロックタイヤ、座席やサスペンションの農作業に特化した仕様などがあり、モデルチェンジごとに独自の進化を遂げているのは赤帽と同じ。
ただ赤帽がサンバー独占だったのに対し、JA向けモデルはスズキキャリィ、日産クリッパーなども存在している。
赤帽はスバルが独占
赤帽仕様のサンバーによって得られたデータは、通常のサンバーにもフィードバックされてクルマの進化に大きく役立てられた。今では一般公道を使って電気自動車、自動運転車両の実証実験が行われているが、サンバーは大量の赤帽仕様車によって、生きたデータを得られたことにより信頼性をはじめ、クルマが大きく熟成したのは言うまでもない。
2008年4月の発表に激震
サンバーは4代目(1982~1990年)、5代目(1990~1999年)、6代目(1999~2012年)とフルモデルチェンジを重ね、多少の浮き沈みはあっても堅調な販売をマーク。660ccへの排気量アップ、現在のボディ規格(全長3.4m、全幅1.48m)へも対応させ、根強い人気を誇ったが、2008年に富士重工は、「将来的に軽自動車の開発・生産から撤退し、軽自動車のラインナップはダイハツに依存するかたちとなる」と発表した。
サンバーだけでも作ってくれ!! という悲痛な叫び
富士重工はスズキ、ダイハツのように数の売れる車種ではないが、富士重工らしいマニアックで、ライバルにない魅力を備えた個性的な軽自動車を販売してきた。日産、ホンダの台頭、スズキ、ダイハツに対抗することが難しく、利幅の小さい軽自動車の開発・生産を続けることは非効率と判断したというのが撤退の理由と言われている。
サンバーがなくなったら「赤帽はどうなる?」というのがクルマ界でも話題になり、「サンバーだけでも作り続けてくれ」という声は高まったが、当然発表が覆ることはなかった。
WRリミテッドが超絶人気
そんなサンバーだが、富士重工は、2011年7月にサンバーバン&トラックの特別仕様車で李最終の限定車となるWRブルーリミテッドを発売開始。車名のとおりWRCに参戦していたインプレッサWRCのワークスカラーをモチーフとしたWRブルーのボディカラーを纏ったモデルで、内装にイエローステッチがあしらわれるなど特別感にあふれていた。
WRリミテッドはバン、トラックで合計1000台の限定販売だったが、あっという間に完売して、直後はプレ値がついていた。中古車相場はここ数年落ち着いてきたが、今でも基本的に新車価格(89万9000~140万8950円)よりも高く売られている中古車が大勢を占めている。
7代目からはダイハツハイゼットのOEM車
富士重工の軽自動車で最後まで残ったのはサンバーバン&トラックだったが、2012年2月29日に生産を終了し、富士重工の軽自動車生産は54年の歴史に幕を下ろした。サンバーの生産されていた群馬製作所本工場は、現在ではトヨタ86/スバルBRZが生産されている。
富士重工オリジナルのサンバーは6代目で終了となったが、7代目からはダイハツハイゼットのOEM車となっている。
現行は8代目でトラックが2014年、バンが2022年に登場しているが、ハイゼットのOEM車となってからは、正直なところ熱狂的なスバリスト以外は、敢えてサンバーを選ぶ理由がなくなった。それにより存在感が失われたのが悲しい。
94歳の義理の祖父が新車で購入
最後にサンバーについて個人的な思い出を。前述の赤帽だが、大学のバレーボール部の合宿費用捻出のため、2週間の短期間だが赤帽でバイトしてサンバーをドライブ。クルマを持っていないけどクルマを運転したい筆者にとっては運転できてその上お金ももらえるということで最高だった。
もうひとつは私の妻の祖父(筆者の義理の祖父)の話。義理の祖父は香川県で建設会社を経営していたが、サンバーが普段のアシグルマ兼仕事用のクルマだった。周りから高級車などを進められても目もくれず、サンバーを愛し続けていたという。初代からモデルチェンジのたびに買い替えていたらしい。
その義理の祖父は94歳の時に6代目サンバーを新車で購入し、非常に喜び筆者にも自慢していたが、ほんの少しだけ乗って天命をまっとう。義理の祖父の終のクルマだったということも思い出だ。
【6代目サンバートラック660TB三方開4WD AT主要諸元】
全長3395×全幅1475×全高1815mm
ホイールベース:1885mm
車両重量:810kg
最大積載量:350kg
エンジン:658cc、水冷4サイクル直列4気筒SOHC
最高出力:48ps/6400rpm
最大トルク:5.9kgm/3200rpm
価格:92万7000円(AT)
※2008年生産モデル
【豆知識】
WRブルーリミテッドは2011年7月にバンとワゴンを合わせて1000台限定で販売された。実際に販売された台数はトラックが若干多い程度でほぼ同数だという。インプレッサWRCで有名になったブルーのボディカラーをモチーフとしたWRブルーが絶妙に似合っていた。業務用として使っている人は少数派で、購入者のほとんどは待ち乗り専門のようで、スバル系のイベントなどでは現在も何台か登場するなど大事に乗られている。今でも需要は高く、中古車も高値安定で、今後もその傾向は続くだろう。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/SUBARU、ベストカー