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 音楽ほど、記録メディアがくるくると変遷してきたコンテンツもないのではないか。78回転のSPレコードから33/45回転のレコード、カセットテープ、CDそれからMD、そしてMP3を経由してストリーミングへと、空気の振動を鼓膜がキャッチする営みは同じでも、音楽を再生する手段は幾度も変化を遂げている。音楽を作ったり演奏する人にとっては、カセットテープにはさらにDATやメタルテープ、CDにはさらに8cmCDやCDRがあったことも馴染みの記憶とされているかもしれない。

■さびしかったのか満たされていたのか

 おどろくべきことは、上記すべての歴史的変遷を体験してきた人が、私たちといまもふつうに社会を共にしていることだ。塩化ビニールによるレコードの普及が1960年代だとしても、いま70代の人たちは次々に新しいメディアを手にしながら音楽を聴き、あるいは音楽を所有してきたわけである。あなたの親や祖父母に聞けば、その曲の思い出を「なにで聴いたか」というメディアの手触りとともに語ってくれるかもしれない。

 これが文学やマンガだったらそうはいかないだろう。それを読む時の手触りも、せいぜい紙と電子書籍の移り変わりである。映画やアニメといった映像コンテンツも、ビデオテープからディスク、そしてストリーミングだ。ゲームだって、ハードはさまざまな進化を遂げてきたが、ゲームを遊ぶ時の身体的な動作は、両手の指それぞれで複数のボタンを押すということに、いまもあまり変化はない。

 そう考えると音楽は、いかに短期間ごとに音楽の容れ物が変わっていったか、音楽をたのしむ時の行動が様変わりしていったかという点において、ちょっと特異なコンテンツに思えてくる。人生のさまざまな時点で好きだった曲が、聴かれ方も所有のされ方も、それぞれまったく違う場合がありえるのだ。

 ある世代の人にとっては、カセットテープが擦り切れるように聴いた曲と、CDプレーヤーに入れっぱなしでいつも聴いていた曲と、MDで歩きながら口ずさんだ曲の記憶が、なんの違和感もなく記憶の棚に並ぶ。

 それにしたって音楽は、そのメロディや詞だけでなく、その曲をいつどこでだれと聴いたか、どんな天気だったか、どういう心境だったか、つらい時代だったのか幸福な時代だったのか、さびしかったのか満たされていたのか、私たち個人のあらゆる心象や情景と紐づいて記憶されやすい。ちがう言い方をすれば、ある曲を聴くと芋づる式に当時の記憶が浮かびあがってきたり、ある特定の記憶が決まったBGMとともに思い出される経験はだれにでもあるはずだ。

 音楽は放っておいても、記憶を纏う。翻れば、音楽を熱心に聴かなくなると、思い出と化す記憶も減っていくのかもしれない。若い頃の記憶が鮮烈なのは、それが音楽とともに暮らす時期だからで、大人の記憶が平板になりがちなのは、その後音楽から離れていく人が多いことと無関係ではないかとさえ思えてくる。

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■空気中に溶けて消えていく音を鳴らすモノの宿命...
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山本隆博
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