おとなの週末的クルマ考

トヨタの思惑が珍しく外れた!? 初代トヨタクレスタは1980年代の若者を魅了!!

初代クレスタのマイチェン後のルーパールーセント

1980年にデビューするや否や若者から絶大なる支持を受けて大ヒットした初代クレスタについて語ります。

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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第31回目に取り上げるのは、初代トヨタクレスタだ。

新生トヨタビスタ店の専売車種として登場

1970年代のトヨタはトヨペット店、トヨタ店、トヨタカローラ店(旧名トヨタパブリカ店)、トヨタオート店という3つの販売チャンネルで展開していたが、1980年4月にトヨタビスタ店(以下ビスタ店)が新設された。

当時最も新しいビスタ店の専売モデルとして登場したのが初代クレスタだ。もう一車種ダイハツタフトのOEMであるオフロード4WDのブリザードが専売車種として同時デビューしたほかは、他チャンネルとの併売となっていた。なお、沖縄県にはビスタ店が存在せず、トヨタ店扱いとなっていた。

初代クレスタはクラウンとマークIIの間に位置する高級パーソナルセダンとして登場

クレスタはマークII/チェイサーとは別グルマ!?

初代クレスタはフラッグシップのクラウンとマークII/チェイサーの間に位置する高級パーソナルセダンというコンセプトで誕生。初代クレスタはプラットフォーム、パワートレーンを4代目マークII/2代目チェイサーと共用。ただし、4代目マークII/2代目チェイサーのデビューは1980年10月だから、初代クレスタが先行するかたちで登場した。

リアコンビランプのデザインが秀逸すぎる!! 初期はツートーンが大人気

3代目マークIIの兄弟車として1977年にチェイサーが兄弟車として加わったが、クレスタの登場により、一般的にはマークII3兄弟またはマークIIブラザーズと呼ばれるようになった。兄弟車というのは、販売店向けの仕様違いで、単なるバッジ替えや、基本的なコンポーネントを共有しながらフロント、リアのデザインを変更するというのが一般的。

それに対し初代クレスタは前述のとおりパワートレーンはマークII、チェイサーと共用していたが、ホイールベースも違っていたし、ボディ外板に関してはドアパネル以外は専用パーツだったので、非常に手の込んだ兄弟車だったと言える。

細かい話になるが、初代クレスタの車両型式はマークII/チェイサーから引き継ぐX系でX50系だった。それに対し遅れてデビューしたマークII/チェイサーはともにX60系。トヨタの車両型式は厳密で、数字が違うということはまったく同じではない証だ。

クレスタに対しオヤジ臭さが隠せない4代目マークII

4ドアハードトップ専用モデル

何よりもロスを嫌い、効率を重視するトヨタがクレスタにそこまで手(コスト)をかけたのは、ブランニューモデルであるということもあるが、マークII、チェイサーよりも高級感を与えて差別化したいというのがあった。

差別化と言えばボディタイプがそう。初代クレスタは外からではセンターピラーがないように見えるピラードハードトップボディで登場。窓枠がないことでリアデザインがスッキリとスポーティで当時はスタイリッシュとされていた。初代クレスタは4ドアハードトップのみの設定だった。

それに対し4代目マークII/2代目チェイサーでは先代モデルまであった2ドアハードトップに代わって4ドアハードトップが新設定されたのが、同時にセダンも設定。

大ヒット車だったので当時は至るところにクレスタが出現

兄弟車でもキャラクターは差別化

驚くのはマークIIに至っては、デビュー時のメインモデルは窓枠付きの4ドアセダンだった。それは前期モデルのマークIIのカタログは4ドアセダンが主役で4ドアハードトップはサブだったことからも明らか。しかし4ドアハードトップ人気が絶大だったこともあり、イーグルマスクという愛称の後期モデルからはカタログで立場が逆転して4ドアハードトップが主役に変更されていたのもオモシロい。

3兄弟の位置づけとしては、最も若手向けに仕上げられていたのがチェイサー、万人受けを狙ったのがマークII、そしてクレスタは両モデルよりもターゲットユーザーの年齢層は上に設定されていた。

4代目マークIIはデビュー時には窓枠付きのセダンがメインモデルだった

CMがシブい!!

初代クレスタのイメージキャラクターは俳優の山ざき(山編に右側上が立)努氏。初代クレスタのデビュー時は44歳だったが、不気味なまでのシブさが強烈。どのCM作品もタキシードを着て登場するのだが、船から降りてきたり、猫やチータと絡んだりするのだがとにかくシブい。アダルト路線を狙っていたクレスタのCMにはジャストマッチ。

個人的に最も好きだったのは、マイチェン後のCMで「クレスタに乗って私とアダルトしましょう」と言った後ニヒルに笑うという作品だ。

CMソングはボズ・スキャッグス「You Can Have Me Anytime」。若造だった当時はいいと思っていなかったが、改めて聞き直すとなかなか心に刺さる曲だ。あと、CMの最後に流れる♪ウェールカーム・トゥー・ビスタ~のサウンドが懐かしすぎる。

YouTubeで「クレスタ CM」で検索すれば当時のCM映像が出てくるので、気になる人はどうぞ。

クレスタのスッキリしたスポーティかつ高級感のあるデザインが若者を引き付けた

とにかくカッコよかった

デザインについては人それぞれ評価軸が違うけど、初代クレスタはマークII、チェイサーと比べて圧倒的にカッコよかったと筆者は感じていた。それは今見てもそう思う。筆者は当時中学生だった。当然免許はないしクルマのことはほとんど知らない若造だったが、初代クレスタにそれまでの日本車にない新しさを感じた。

全長4640×全幅1690×全高1395mmは5ナンバーサイズながら伸びやかで、背も低く抑えられていてピラードハードトップ特有のシュッとした感じがなんとも言えずよかった。

まず顔がよかった!! 大型異形2灯のマークXはオヤジ臭かったし、スラントノーズのチェイサーはバリカンっぽくてイマイチ。その点初代クレスタは角型4灯のヘッドライトがスポーティ。

さらにお尻、厳密にはリアコンビランプのデザインなのだが、横バータイプながらちょっとスラントして、それがダックテールのように見えるという新デザインを採用。そんなこともあってプロポーションはマークII/チェイサーと同じながら光っていた。そう思っていた筆者世代の若造、ちょっと上のお兄さんたちにはいっぱいいた。

若者御用達で大ヒット

トヨタの思惑が外れた、というのはターゲットユーザーで、ちょっと高めの年齢層を狙っていた高級志向の初代クレスタだったが、ふたを開けてみれば高級感とスポーティさを兼ね備えていたので若者が飛びついた。

クレスタという名前も響きがいい。トップグレードの名称もマークIIのグランデ、チェイサーのアバンテよりもずっとオシャレなスーパールーセント。若者を魅了するに充分で、

トップグレードのスーパールーセントでさえ200万円を斬る価格だったこともあり、一躍若者御用達となった。もちろん当時は最上級グレードが一番人気だった。

視認性を重視したアナログメーターは色遣いなどに凝っていた

ツインカム24登場!!

若者の心をつかんだ初代クレスタは、1982年のマイナーチェンジでその人気はさらに高まった。そう、『ツインカム24』の登場だ。マークII3兄弟に2L、直6DOHCエンジンが新たに追加されたのだ。

このエンジン以前にもDOHCエンジンは存在していたが、『ツインカム24』の名称はとにかく秀逸で、そのエンブレムが燦然と輝いていた。だから、マークII3兄弟でも『ツインカム24』のエンブレムが付かないグレードはマークII3兄弟にあらずと言った感じ。とにかくその威力は絶大だった。

この写真は廉価版のスーパーカスタム。スーパールーセントに対し見劣りするため人気薄

日本車史上珍しいマイチェン

実は初代クレスタ、非常に珍しいマイチェンを行った。前述のとおり初代クレスタの車両型式はX50系だったが、マイチェンでマークII/チェイサーと同じX60系へと変更された。プラットフォームをマークII/チェイサーと共用することになったため、前期型のホイールベースは2650mmだったが、マイチェン後は2645mmと短くなった。マイチェンでプラットフォームを変更するのはまれだが、5mmとは言えホイールベースが短くなるのはもっと珍しい。これは単に高効率化を狙ったコストダウンだ。

マークIIはマイチェンでスポーティなイーグルマスクに大胆変更

マイチェンでさらに人気爆発!!

マイチェンは『ツインカム24』の登場が最大のトピックだったが、エクステリアデザインの変更も見逃せない。クレスタは角4灯ヘッドライトが人気だったが、マイチェンでイエローのフォグランプを内蔵した異形角型2灯に大胆変更。これがまたカッコよかったのだ。フォグを点灯していない状態では、うっすらと黄色が透けていて、フォグを点灯すると内側が黄色く発光するというのも若者の心をつかんだ。

それからボディカラー。初代クレスタと言えば独特のツートーンカラーが人気だったが、マイチェン後はスーパーホワイトが一番人気となったこと。

その一方でマークII/チェイサーも同様にマイチェンを受け、マークIIがオヤジ顔からスポーティなイーグルマスクに変更されてこちらも人気となった。でも若者の一番人気はクレスタで変わりなかった。

異形2灯ヘッドライトの採用により人気はさらに高まった初代クレスタ

ソアラとクレスタで悩む

若者から絶大な支持を得た初代クレスタは、当時日本車の最高峰に君臨していたソアラと人を二分したと言ってもいいほど。スペシャルティ2ドアクーペのソアラか4ドアハードトップのクレスタのどちらを買うかで当時の若者は大いに悩んだ。今のクルマ界ではまったく考えられない現象だった。

筆者は広島県出身だが、中学生頃は大学生だろうが社会人だろうが高校卒業後にすぐに新車を買う、というのが当たり前。大学に行くかクルマを買うかという選択肢さえあった。大学に行かない代わりに新車を親に買ってもらった人もいた。とは言え、基本はローン!! 男の5年60回ローンというのが大半だった。新車を買うために働く、収入のほとんどはクルマのローンとガソリン代で消えるという時代だったのだ。クルマのステイタス性を求め、身分不相応だと言われようが関係ない。だから、初代クレスタもトップグレードのスーパールーセントが一番売れた。

クレスタとスペシャルティクーペのソアラがライバルという信じられないような時代だった

教習車で幻滅!?

初代クレスタは自動車学校の教習車仕様を設定していた。クレスタの教習車は3代目(1988~1992年)まで設定されていたから、クレスタで免許を取ったという人も少なくはないはず。

筆者は大学2年生の時に免許を取得。その時の教習車は日産ローレルの2.8Lディーゼルだったが、その頃他校では初代と2代目のクレスタの教習車が混在している感じ。実際筆者の友人は初代クレスタの教習車で免許を取得したが、友人曰く「初代クレスタに憧れていたけど、教習車は運転しづらいし、高級感のかけらもなくて幻滅したよ」。教習車は4気筒エンジンモデルで5MTゆえ、いわゆる人気のある6気筒クレスタとはまったく別物。当たり前のことなのだが、憧れていただけに百年の恋も冷めたような気分になったのだろう。「人気のクレスタで免許取れます!!」と大々的にアピールしていた教習所もあったが、筆者の友人と同じ思いをした人は少なくないのでは?

初代クレスタはトヨタの教習車に抜擢されていて数多く導入されていた(カタログより)

1980年代に若者が憧れたクルマの筆頭格

筆者は初代クレスタを運転したことはない。でも先輩がマイチェン後のスーパールーセントを買ってよく助手席、リアシートに乗せてもらったり、叔父が同世代のイーグルマスクマークIIグランデに乗っていたため、雰囲気や乗り味はわかる。とてもスムーズで快適だった。

『ツインカム24』は初代クレスタではなく2代目ソアラで経験。エンジンはスムーズだし、アクセルを踏んだ時の6気筒特有の「グォーン」という音が心地よかったのを覚えている。そして強烈に速かった。

今見ると少々恥ずかしくなりそうな見た目に豪華なインテリア

乗り味などよりも印象的だったのは、デジパネ(デジタル表示のインパネ)と場末のスナックを彷彿とさせるモケット地のシート。今見るとセンスねー、と感じるが当時は豪華で凄いと感じていたものだ。

内装をチンチラ仕様にしたり、シャコタンやエアロパーツを装着するのも流行ったけど、広島という地域柄、ヤン車仕様やゾク仕様もいっぱいあった。

同世代でも初代クレスタにまったく興味がなかったという人もいるだろうが、筆者にとっては多感だった1980年代に憧れたクルマの一台であることは間違いない。

初代クレスタ用のエアロパーツは数多く販売されていた

【初代トヨタクレスタ主要諸元】
全長4640×全幅1690×全高1395mm
ホイールベース:2650mm
車両重量:1205kg
エンジン:1988cc、直列6気筒SOHC
最高出力:125ps/5400rpm
最大トルク:17.5kgm/4400rpm
価格:197万4000円(4AT)

【豆知識】
チェイサーは3代目マークIIの兄弟車として1977年に初登場したトヨタオート店の専売車種だ。2代目は1980年にマークIIと同時デビューし、初代よりもデザインで差別化が図られた。チェイサーは一貫してマークIIよりも若者向けというキャラクターが与えられてきた。3兄弟で最もスポーティなデザインが与えられていたが、クレスタが加わりマークII3兄弟と呼ばれるようになっても販売面では3兄弟で最も少ない。

スポーティだがどことなく洗練されていなかった2代目チェイサー

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、ベストカー

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