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待ち受けていた試練とは?

しかし、営業を開始してしばらくたってみると、目の前には厳しい現実が待っていた。開店当時は29歳。木造駅舎で周辺が田畑だらけの国分寺には、そもそも人が少なく、喫茶店にもそれほど人が入らなかったのだ。目の前の通りには人よりたぬきの方が多いくらいだった。1977年には店の大改装も行った。その後もしばらく赤字は続いたが、芸能人としての収入があったことで何とか店を存続し続けることができたという。

シンガー・ソングライターとして活躍していた頃の中山ラビ

子どもが生まれ、赤字だった喫茶店に変化が訪れる

転機となったのは、1988(昭和63)年。子どもができ、シンガー・ソングライターという仕事以上に喫茶店の仕事に本腰を入れていくことを決意した年だったという。この時生まれたのが、現在の店主、宮本 一平さんだ。

現在のオーナーの宮本 一平さん
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バブル崩壊と共に軌道に乗り始めた理由とは・・・?
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