飲食店が10あれば10の味、技、心意気、そして物語がある。庶民に愛される名物料理や伝統の味を守る街の名店の店主たちは、どのように日々の仕事と向き合っているのか。人を笑顔にする“おいしい”の秘密とは。プロの話を聞きに行きました。
画像ギャラリー飲食店が10あれば10の味、技、心意気、そして物語がある。庶民に愛される名物料理や伝統の味を守る街の名店の店主たちは、どのように日々の仕事と向き合っているのか。人を笑顔にする“おいしい”の秘密とは。プロの話を聞きに行きました。
「町」中華のレジェンド【1】黄金に輝く名物チャーハンは魂を揺さぶる味『中華料理 兆徳』店主 朱徳平さん
1963年生まれ、62歳。中国・河南省出身。1991年に来日し、数軒の中華料理店で働いて料理をイチから学んだ。95年に独立。著名人のファンも多い神業の玉子チャーハンや揚げ餃子など名物料理がメディアで紹介されて人気に火が付き、行列店に。生涯現役を貫く。
『兆徳』の味は日本で学んだ日本の中華の味です
ずっとずっと憧れていた。その姿を思い描くだけで胸がときめく。これほど会いたくて焦がれるなんて、数少ない過去の恋愛でもそうそうなかったかも……ええっとですね、『兆徳』の玉子チャーハンのことです。
人呼んで“黄金チャーハン”。
玉子チャーハン(塩味) 800円
皿にこんもり盛られたそれは、雨上がりにパーッと晴れた朝のお日様のよう。レンゲを入れるとパラリと崩れ、芳しい香りがゆるやかに鼻まで届く。たまらずかき込めば米に絡んだ卵の実直な旨みとシンプルな塩味が舌に伝わり、何というのかな、大きなやさしさに抱きしめられた気分になる。
材料は米、卵、長ネギ、味付けは基本塩のみ。そう、これだけ。なのにどうしてこんなにも魂が揺さぶられるのか。
店主は朱徳平さん、中国・河南省出身。あの人気テレビ番組『情熱大陸』でも取り上げられた町中華のレジェンド、と聞けば根っからの料理人だと想像するのでは?
けれど中国では飲食とはほど遠い公務員だった。妻の母親が日本人だったことが縁で1991年に来日。「生活のために働いていた日本の中華店で料理を覚えた。だからうちは日本の味。中国の味ではないんです」。そうか、日本人がホッとする旨さはそういうことが理由でもあるんだ。
多い時は2時間待ちもある現在からは信じがたいが、「20年以上前はお客さんが来ない時期もあってね、夜中の2時3時まで料理を研究してたよ」
醤油味が多かった、ならば塩味でやってみるか!
ちょうどその頃に誕生したのが今回の主役、玉子チャーハンだ。当時、町中華のそれは醤油味が多かった。「ならば塩味でやってみるか」。
試食を重ね、完成させたレシピが行列を生む名物となった。コツは鍋に卵を入れてすぐ硬めのご飯を投入すること。まだ半熟の卵で米粒がコーティングされ、理想のパラパラに仕上がるという。先に書いた通り極めてやさしい味なのだが、飽きず疲れず、食べ進めるほどに計算された塩味が奇跡のように完璧なバランスだと気づく。シンプルゆえに深い、これぞプロの仕事……。
独立しておよそ30年。持ち帰り専門店を近くに設けたが、支店の出店は考えてないそうだ。「支店を出すと味がブレる。この店だけで一生懸命、死ぬまで頑張りたいんです」。行列覚悟のおいしさはやっぱり今も私の憧れのまま。
最後に。看板の味ばかりに目が向きがちだが、研究を重ねた1品料理のあれこれも絶品の旨さだと、付け加えさせてください。
『中華料理 兆徳』@本駒込
[住所]東京都文京区向丘1-10-5
[電話]03-5684-5650
[営業時間]11時半~14時半、17時半~22時
[休日]月 ※月が祝の場合翌火休
[交通]地下鉄南北線本駒込駅1番出口から徒歩2分
「町」中華のレジェンド【2】軽やかな皮と野菜の甘みの極上ハーモニー『餃子の王さま』3代目 佐々木光秋さん
1973年生まれ、51歳。気さくで飾らないお人柄はまさに江戸っ子。一流商社の会社員を経験するも30代で店に戻って伝統の味を守っている。店は今年で創業70周年。当初は屋台風の店構えで看板の餃子は1人前50円だったとか。現在は外国人観光客も多い。
店を離れてみてうちの餃子の旨さに気づいたんです
かれこれ10年以上、浅草に行くとこの餃子を食べているのだが、毎回まるで初めてかのように感動してしまう。これってすごいことなんじゃないかと思う。香ばしいそれが仲よく整列する姿にまず拍手、パンパンに詰まった野菜餡の繊細さにまた拍手、パリッとした皮&クリーミーな餡の相反する食感と旨さに大喝采!
王さまの餃子(1人前)490円
すかさずビールをプハッとやれば脳内で歓喜のファンファーレが鳴り響く、パンパカパーン。だいたい、いつもこんなふう。
店名の由来は「この旨さは餃子の中の王さまだ」と表現した常連客の言葉から。戦後復興期の1954年、それまで浅草になかった焼餃子の店をやろうと初代が閃いたのが始まりで、現在は3代目の佐々木光秋さんが切り盛りする。
銀座の中華で修業して24歳頃に家業に入ったものの、2代目の父と考え方の違いから浅草「ほおずき市」(かき入れ時!)の日の営業中に厨房で取っ組み合いの大喧嘩、店を飛び出し商社に転職……と聞くだけで2時間ドラマの脚本が書けそうだが、そんなこんなで再び店に戻ったのが30代前半。
「今思えば自分もデタラメでしたね。離れたからこそ改善点など気づきがあった」。餃子への思いもそう。「大人になってよそで餃子を食べたら子供の頃から味わっていた旨さと何か違う。ある時気づいたんです。よそが違うんじゃない、うちが違うんだって。これだけ旨い餃子を売ってるんだから、もっと知ってほしいと強く思うようになりました」
特徴的な餡の“黄金比”は?
特徴的な餡はキャベツが9割、後はニラ、ニンニク、ショウガ、実は豚肉もほんの少し。キャベツは時季で産地を変え、1~2ミリ単位に細かくカットする。これが繊細な舌触りの秘密。
「11月頃からは愛知の渥美半島産を使う。身が締まって芯が甘く、うちの餃子に適している。だから今から冬にかけての餃子は最高に旨いよ」。知らなかった、餃子に旬があるなんて。もっともこの店だけの話だけど。
作り方も独特で、「皮の際の際までたっぷり餡を乗せて野菜の水分だけで握るんだ」。お気づきだろうか。この店では餃子を“包む”でなく“握る”と言う。「何でだろうね、寿司ネタのように餡を皮に乗せる様子からか、ひとつずつ真心を込めて“握る”という教えだと思います」
1日で3000個ほども作る!
そんな“握りたて”を生のまま焼くのもまた特徴だ。1日で2~3000個を作るが、冷凍や冷蔵の保存は一切しない。全ては自慢の餃子をおいしく食べてもらうため、初代の手法を守っている。
実は取材前、店先で声を掛けてくれた男性客がいた。「ここの餃子は絶品、さすが王さまだよ」。70年前の常連客を思わせる言葉は色あせない味わいの証拠。そう、時代が変わっても、この旨さは変わることなく「餃子の王さま」なのだ。
『餃子の王さま』@浅草
[住所]東京都台東区浅草1-30-8
[電話]03-3841-2552
[営業時間]11時15分~14時LO、16時~20時LO、土・日・祝:11時15分~20時LO
[休日]火
[交通]地下鉄銀座線ほか浅草駅3番出口などから徒歩5分
「町」中華のレジェンド【3】漫画界のレジェンドが愛した絶品餡かけそば『一番飯店』3代目 山本隆正さん
2代目の義家さんは1953年生まれ、71歳。3代目の隆正さんは1985年生まれ、39歳。現在はふたりで厨房に立つが、手塚氏が愛した味で、2011年に復活した伝説の名物「特製上海焼きそば」を作るのは今も義家さん。完売するほど人気の餃子は隆正さんが担当する。
期待に応えるよう日々丁寧な仕事を心掛けています
初代は腕利きの料理人だった。名店「揚子江菜館」で働いていた時に常連のエノケンこと榎本健一に気に入られ、その紹介で歌舞伎界や当時首相だった吉田茂の頃の官邸料理人として活躍した。1952年、白金台に店を構え、浅草出店の失敗を経て54年に高田馬場へ。以来この地で70年、街と共に歴史を歩んできたことになる。
現在の高田馬場は学生街で知られるが、昔は時計や染色などの工場が多く、職人の街でもあったそうだ。
「昼は工場で働く人が詰めかけて、店に入りきれないお客さんが外の道路で食べていたほど」。2代目の山本義家さんが伝える。時代は高度成長期、がむしゃらに働いていた日本人の胃袋を支えた初代の味、それが店の礎。
「昔の味は変えられないと思っています。だから分量を細かくレシピ化してるんです」。意外だった。だって料理人は「仕事は見て覚える、技を盗む」とよく言うから。
実際、山本さんもそうだ。20歳頃から店で働いたが、厨房に入れたのは30歳を過ぎてから。手取り足取りなんて教えてくれない。だが作る人が変われば味も微妙に変わるもの。「親父に頼み込み、調理の手を止めてもらいながら計量して料理ごとにメモした。今でも味が変わったとは言われたことはないですね」
「特製上海焼きそば」誕生のきっかけは手塚治虫
そのひとつが「特製上海焼きそば」だ。実はこれ、漫画家の手塚治虫氏の要望で誕生した味。事務所が近いことからよく出前を利用したそうで「ある日、先生にばったりお会いして。そしたら『悪いんだけど今度焼きそばに八宝菜を乗せてくれませんか。豚肉より鶏がいいなあ、キクラゲもいいねえ』と好きな具を言われたんです。
親父に伝えたら『首相官邸時代からムチャぶりには慣れてる(笑)』と先生専用に作った。先生亡き後は作ってなかったけど、手塚プロダクションの方から店で出しては?と声を掛けられ、13年前にメニューに加わりました」
特製上海焼きそば 1780円
具は鶏肉、エビ、キノコ類など盛りだくさん。店の基本である鶏ガラと豚骨のスープに醤油などで味を調える。麺は片面をカリッと焼いて中はふわっと感を残すのが特徴だ。ゴロゴロ入った具はそれだけでスペシャルな味、これでチビチビ飲んで最後に麺……が常連に定番らしい。
現在は3代目の隆正さんと共に厨房に立ち、初代から受け継ぐ味を基本に時代に合わせたメニューも考案している。居酒屋的な小皿料理もあって、これが楽しいったらない。暖簾を守ることは、昔の味を大切に残すことと同時に、新しい味に挑戦することでもあるんだなあ。
「それと。どんなに忙しくてもごまかさず、ひとつずつ丁寧に、期待を裏切らないこと。心掛けるのはその1点です」
これこそ飲食の正義。この店が愛され続ける最大の理由なのだと思う。
『一番飯店』@高田馬場
[住所]東京都新宿区高田馬場4-28-18
[電話]03-3368-7215
[営業時間]11時半~15時半、17時~22時
[休日]火・水
[交通]JR山手線ほか高田馬場駅早稲田口などから徒歩6分
撮影/鵜澤昭彦(兆徳、一番飯店)、浅沼ノア(餃子の王さま)、取材/肥田木奈々
※2024年12月号発売時点の情報です。
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