「フランス革命」終結から約80年かかった「国祭日」の制定
しかし、「フランス革命」終結後も1880年まで、7月14日は「国祭日」(フランス革命日)と正式には定められていませんでした。1879年に共和主義者が政治などの全機関を掌握し、1880年に「国祭日」に制定されました。
「国祭日」の制定には、1830年に起きた7月革命の日付や普通選挙、奴隷制廃止の日付などさまざまな案がありましたが、国王の専断に対する民衆の勝利として象徴的であるバスチーユ襲撃の日付が採用されました。
最初の「国祭日」となった1880年7月14日の夜には、宴会や舞踏会が開かれ、最後にはたいまつ行列や花火も行われて、華々しくお祝いされました。
今でもパリ最大のお祭りの日として、あらゆる場所でフランス国旗が掲げられ、様々なイベントが行われています。シャンゼリゼ通りでは軍事パレードが行われたり、エッフェル塔周辺をはじめとして、フランス全土で花火大会が行われたりと、国中がお祝いムード一色に染まります。
ルネ・クレール監督の映画『巴里祭』 日本で知られるきっかけ
日本では、1933年公開のルネ・クレール監督の映画『Quatorze Juillet』(7月14日)が『巴里祭』と訳されてから広く知られるようになりました。
また、「フランス革命」を題材に描かれた「ベルサイユのばら」(作・池田理代子)は、宝塚歌劇団の最大のヒット作でもあり、ご存じの人も多いかもしれません。
ちなみに……筆者の宝塚歌劇団の舞台初体験は小学校6年生のときで、演目は「ベルサイユのばら」でした。
歴史上、時代の大きな節目には必ずと言っていいほど、「革命」や「戦争」が起こっています。現在も世界の数カ所で人の命を奪う「戦争」が進行しています。
その反面で、人々が手を取り合って協力し合おうという動きがあることも事実。
世界中の全ての人が安心して暮らせる平和が、一日も早く訪れることを願ってやみません。