あこがれだった「レストラン新幹線」
旅の楽しみのひとつに列車に連結された「食堂車」というものがあった。食堂車のはじまりは1899(明治32)年で、当時は私鉄路線だった山陽鉄道(現在のJR山陽本線)の急行列車で営業したのが最初だった。列車内で温かい食事が食べられるという発想は、山陽鉄道のライバルとされていた瀬戸内海を航行する豪華客船に対抗するためでもあった。その後、1901(明治34)年には、東海道線(新橋駅~神戸駅間)にも食堂車が誕生した。
国鉄の時代は、新幹線のほか在来線の特急・急行列車でも食堂車を連結していた。なかでも、新幹線は「レストラン新幹線」と呼ばれ、多くの乗客に親しまれた。当時は、東海道・山陽・東北・上越の各新幹線に食堂車が連結され、東海道・山陽新幹線では、日本食堂、帝国ホテル列車食堂、ビュフェとうきょう、都ホテル列車食堂が、東北新幹線では日本食堂、上越新幹線は日本食堂と聚楽が営業(いずれも1986/昭和61年当時の営業社名)しており、どの列車でどのレストラン会社が営業しているかは、市販または駅備え付けの時刻表を見れば一目瞭然だった。
メニューも、各レストラン会社ごとに創意工夫がおこなわれており、例えば日本食堂であれば「ひかりAセット(牛舌煮込ブルジョアーズ風、魚冷製エーグルレット)」2000円、「ひかりBセット(豚織肉カツレツベルジエール風、魚冷製エーグルレット)」1600円や、帝国ホテル列車食堂では、夕食メニューに「サーロインステーキ定食」3500円、昼食メニューでは「ミックスグリル定食」2300円といったように、食堂車とは思えない献立がずらりと並んでいた。とはいえ、当時を思うと「列車食堂」は”高嶺の花”だった。オトナになったら、いつの日か贅沢に食堂車を利用したいと思っているうちに、”夢の食堂車”はなくなってしまった。
いまも、クルーズトレインや観光列車などの特定の列車では、列車内で食事の提供を行っているが、当時の食堂車とは何かが違う。それは、あらかじめ別の場所で調理されたものを、列車内で温めるなどして提供しているだけに過ぎないからであろう。なぜ、列車内で調理を行なわなくなったのかといえば、食品衛生管理の観点から、保健所から列車内(車両内)での調理を伴う営業許可を得ることが難しくなったことにあるという。
新幹線の食堂車が廃止されたのが2000(平成12)年。最後まで残っていた夜行寝台列車などに連結していた食堂車も、2016(平成28)年までに全廃された。旅の楽しみは、駅弁やあたらたな業態となった「ビュフェ、カフェテリア」へと姿を変えた。令和の時代、旅の楽しみである「列車食堂」がカタチを変えながらも、今も変わらず続けられていることは、ありがたいことなのかもしれない。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。












