『おとなの週末Web』では、グルメ情報をはじめ、旅や文化など週末や休日をより楽しんでいただけるようなコンテンツも発信しています。国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。“ユーミン”こと松任谷由実の第3回は、アルバムがミリオン・セールスを連発していた1980年代後半から90年代前半のお話です。大ヒットの陰で大きな重圧を感じていたユーミンの胸の内とは……。
天真爛漫な性格、常にポジティヴ
松任谷由実~ユーミンの夫である正隆氏とはfacebookでつながっている。そこでは度々、由実さん(正隆氏はユーミンをそう呼ぶ)が登場する。facebookの正隆氏の投稿を見るとユーミンという人が、あまり裏表のない天然というか天真爛漫なことが分かる。常にポジティヴ、思ったことを親しい人ならすぐに口にする、そういう性格に思える。
1980年代、ユーミンのアルバム売上は年々、上昇して行った。50万枚が100万枚、そして90年代に200万枚と自身の記録を塗り替えながら、アルバム・セールスは伸びていった。当時のユーミンのアルバムは、毎年12月発売と決まっていた。
所属する東芝EMI邦楽部(当時)は、毎年12月はユーミンのアルバム・プロモーションのためにだけ動き、他のミュージシャンの作品はリリースしないという力の入れようだった。途中からはレコード会社だけでなく大手の広告代理店もセールス・プロモーションに協力していた。
膨大なセールスを期待されるミュージシャンは、レコード会社でVIP待遇される。その一方でミュージシャンにかかるプレッシャーやストレスは、とてつもなく大きなものになる。その売上がスタッフの給料、レコード会社の損益やその社員の給料にまで影響してくるのだ。
