鉄道の「廃線」を巡る 東海道線が小田原を通らない時代があった 100歳の路面電車が語り継ぐ小田原の鉄道ものがたり #小田原#箱根#鉄道 記事に戻る かつて小田原市内線で活躍した車齢100歳を迎えた路面電車。箱根口ガレージ報徳広場に併設される「きんじろうカフェ&グリル」のマスコット的な存在として展示される=2025年4月5日、小田原市南町「小田原馬車鉄道」時代の湯本停留場(のちの箱根湯本駅)を写した古写真=写真提供/JLNA1896(明治29)年に内務省から発出された電気鉄道敷設に関する“命令書”の写し=資料/国立公文書館蔵「小田原電気鉄道線路平面図」。右側が国府津で、左が湯本(のちの箱根湯本)を示す=資料/国立公文書館蔵小田原電気鉄道開業式のようす=写真提供/JLNA小田原電気鉄道の線路平面図に見る当時の小田原市街。図中に「町原田 小」と書かれている=資料/国立公文書館蔵沿道で奉迎する人々の姿から御召電車と推察される写真(撮影年次・場所不詳)=写真提供/JLNA「小田原電気鉄道株式会社国府津小田原間軌道補償に関する件」と題した鉄道省の文書=資料/国立公文書館蔵登山電車が建設される前(免許線)の路線概要図。1910(明治43)年の早川の氾濫により線路が流された風祭と湯元の間には、線路が付け替えられたことが示されている=資料/国立公文書館蔵「延長して駿東郡佐野駅まで拡張」の文字が読み取れる登山電車計画時の請願書=資料/国立公文書館蔵日本電力と合併し、小田原電気鉄道が解散したことを記した文書。箱根登山電車の名称は「日本電力株式会社箱根電車」となった=資料/国立公文書館蔵酒匂橋を渡る小田原電気鉄道の路面電車。(撮影年次不詳)=写真提供/JLNA 記事に戻る 東海道線が「小田原」を通らない時代があった 100年以上前、わずか12年で廃止の「小田原馬車鉄道」を知る