鉄道の「廃線」を巡る 【貴重画像】これが渋谷とは…廃止から57年、玉電・玉川線が走っていた驚きの景色 #三軒茶屋#二子玉川#渋谷#鉄道 記事に戻る 開業のころの三軒茶屋のようす。三軒茶屋の地名は、大山道(現・国道246号/玉川通り)と登戸道(現・世田谷通り)の分岐するあたりに三軒の茶屋(信楽〔のちの石橋楼〕、角屋、田中屋)があったことに由来する=写真提供/宮田道一コレクションひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影した現在の三軒茶屋(追分)の様子。高速道路などがある左側が国道246号線(玉川通り)で、右側が世田谷通り=2026年2月13日、世田谷区三軒茶屋三軒茶屋駅のスタンプには三軒の茶屋が描かれている。1977(昭和52)年4月7日の新玉川線開業を記念したスタンプ帳より=資料所蔵/筆者トップ画像とほぼ同じ位置から撮影した現況写真。この交番のあたりに1992(平成4)年11月10日まで世田谷線の三軒茶屋駅があった=2026年2月13日、世田谷区太子堂渋谷駅前にあった砂利積卸場。いまでは写真の後方をJR山手線が走り、その右側に渋谷駅のハチ公口がある=写真提供/宮田道一コレクションひとつ前の写真とほぼ同じ位置で撮影した現在の渋谷駅前(道玄坂からハチ公口方向を見る)=2026年2月13日、渋谷区道玄坂開業当初から2両連結で運転していた玉電玉川線。関係者が収まった記念写真より、撮影年次不詳=写真提供/宮田道一コレクション玉電の”生き残り”世田谷線を走る「玉電復刻カラー電車」。前面には「世田谷線(三軒茶屋~下高井戸)開通100周年」を祝うヘッドマークが掲出されている=2026年2月13日、世田谷区太子堂東急会館(旧・玉電ビル)完成予想図。中央の建物が東急会館。図の右が恵比寿方向。東急会館工事報告(1955年/東京急行電鉄刊)より=資料所蔵/筆者夜の玉電渋谷駅で撮影された1枚。正面に写る大きなビルが東急会館(旧・玉電ビル)。電車は80形93号=写真提供/飯島巌コレクション、1969年5月1日東急会館(玉電ビル)完成当時の2・3階部分を示した平面図。玉電や地下鉄銀座線改札口の位置関係が図示されている。東急会館工事報告(1955年/東京急行電鉄刊)より=資料所蔵/筆者東急会館(玉電ビル)完成当時のビル全体図。ビルの2・3階に玉電のりば、地下鉄銀座線のりば、が図示される。東急会館工事報告(1955年/東京急行電鉄刊)より=資料所蔵/筆者昭和~平成の渋谷駅といえば、床に貼られたカラータイルを思い出す方も多いことだろう。JR渋谷駅中央口から井の頭線へ向かう乗り換えコンコースで=2026年2月13日、渋谷区渋谷在りし日の玉電渋谷駅のようす。左上の高架線が地下鉄銀座線の車庫線で、右側は京王井の頭線へと続く建物があった=写真/宮田道一コレクション、1969年3月廃線後、バスターミナルへと転身した旧渋谷駅跡。銀座線の高架橋には、わずかに玉電が使用した電気工作物(鋼材加工品)が遺っていた=写真/宮田道一コレクション、1983年12月渋谷バスターミナル(玉電渋谷駅)があった周囲は一変しており、当時の痕跡などあるわけもない=2026年2月13日、渋谷区道玄坂渋谷バスターミナルにあったバス折り返し用のターンテーブル=1986年6月、渋谷区道玄坂東急会館(旧・玉電ビル)に遺されていた玉電遺構「架線引き留め金具」=1986年6月、渋谷区道玄坂渋谷バスターミナルに遺されていた玉電遺構のひとつ「架線柱」=1986年6月、渋谷区道玄坂新玉川線が建設中当時の東京急行沿線案内(昭和48年11月版/東京急行電鉄発行)=資料所蔵/筆者 記事に戻る 廃止から57年、玉川と渋谷を結んでいた玉電・玉川線 在りし日の貴重画像に驚く渋谷や三軒茶屋の今昔