女将やマダムのいる店は、何かが違う。「女将」ってなんだろう?その姿に迫る『おとなの週末』連載「女将のいる場所」を、Webでもお届けします。今回は、2006年に東京都文京区で開業したイタリア料理を提供するお店『ヴォーロ・コズィ』の西口安菜子さんです。
取材する側から向こう側へ「未知の世界は何もかもがおもしろい」
西口安菜子さん。あさこの漢字は?と訊ねたら、「安い菜っ葉の子です」と微笑んだ。決め台詞であるらしい。
1973年、新潟県の名立(なだち)という無人駅の町に生まれた。実家は代々続く寺で、躾に厳しく、おいしいご飯も黙食が基本。一家全員背が高く、彼女も身長172センチだ。
「海も山も近いところで、山猿のように遊んでいました」
東京の短期大学に進学し、父の認める客室乗務員として3年。退職後、ある女性編集者との出会いによって食の記事を書く職を得た。経験なし、ゆえに自信もなし。でも、「やってみたらいいのよ!」の言葉が信じられた。
「今思えばきっと、手を差し伸べてくださったんですね」
雛鳥が巣を発つように飛んでみたら、未知の世界は何もかもがおもしろい。取材先の料理も、料理人の物語も。その中の一軒、『ヴォーロ・コズィ』は、下見で訪れた時からどこか違った。鴨料理の、この飛び抜けた味わいは何だろう?
シェフは西口大輔さん。原稿確認のやりとりはいつも深夜0時過ぎから始まるくらい、仕事へ打ち込む情熱に衝撃。あの鴨料理は、だから心を奪うのだ。
ふたりは2013年に結婚。安菜子さんはライター業を続けながら、週末に皿を洗い、ポルチーニのシーズンには新人コックのように下処理を担当。それでもまさか、自分が表に立つ日がこようとは夢にも思っていなかった。
コロナ禍。マネージャーを務める義兄の退職が決まり、彼女は取材する側から向こう側へと、再び飛んだ。しかしソムリエ認定を取得してもなお埋まらない不安。夫は、「素のままでいいんだよ」と励ましてくれるけれど。
「私には義兄のような技術もなく、太陽のようにおおらかなマダムにもきっとなれない。だからせめて、お客さまに“よく思われようとしない”ことを心がけようと」
言葉を慎重に選ぶ彼女の真意は、自我はいらない、ということだ。テーブルの時間を邪魔しない。料理を味わう無垢に介入しない。ワインのセレクトを褒められればうれしいが、その喜びは料理と調和できた達成感である。
コロナ禍は、仕事漬けだった夫妻に週休二日をもたらした。一日は仕込み、でも一日は山に登る。頂上からの景色が最高なのだと、ふたり揃ってたまらない顔をした。
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