今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第86回目に取り上げるのは1979年にデビューした6代目日産ブルーバードだ。
トランプ大統領に翻弄された2025年
この原稿が初公開されるのは2025年12月28日。2025年もまもなく終わろうとしていて、クルマ界もいろいろな出来事があった。世界的な視点で言えば、2月にトランプ大統領がパリ協定からのアメリカの離脱を発表。欧州の電動化戦略にも大きな影響を及ぼす可能性のある重大なニュースだった。さらにトランプ関税によって日本の自動車メーカーが多大な損失を被ったのも大きなニュースだ。そういった意味での主役はアメリカのトランプ大統領と言えるかもしれない。とにかく世界がトランプ大統領に翻弄された一年、という印象は強い。
日産は2025年クルマ界のニュースの主役
日本のクルマ界に目を移すと、暫定税率の廃止が正式決定したのは大きなニュース。ガソリンは2025年12月31日、軽油は2026年4月1日に廃止となる。その一方で、自動車メーカーでの話題の中心は日産をおいてほかにない。2月にホンダとの提携交渉決裂に始まり、巨額赤字、イヴァン・エスピノーサ氏が新社長に就任。カルロス・ゴーン社長時代のリバイバルプランを超える痛みを伴う再建策の『Re: Nissan』により大量リストラに加えて、日産のマザー工場である追浜工場(神奈川県横須賀市)の27年度末での閉鎖、日産車体湘南工場(神奈川県平塚市)での生産委託終了(26年度)、GT-Rの生産終了、ジャパンモビリティショー(JMS)2025での新型エルグランド公開と続き、12月には日産グローバル本社(神奈川県横浜市)の売却発表などなど、いいこともあったが、ネガティブな印象は否めない。日産が再建できるかについてはまずはヒット車を出すことだと思われるが、その点では少々不安が残る。クルマ好き、クルマ業界にかかわらせてもらっている身からすれば「がんばれ日産!!」を唱えるしかない。
初代は1959年にデビュー
今回はその話題の日産のかつての主力車種だったブルーバードのなかから、若者を中心に大ヒットした6代目ブルーバード(910型)を取り上げる。
日産のビッグネームのひとつ、ブルーバードが誕生したのは1959年。ダットサンブルーバードとして販売を開始。型式は初代が310型でその後、2代目(410型)、3代目(510型)、4代目(610型)、5代目(810型)、そして今回紹介する6代目は910型となる。710型が抜けているのは、サニーとブルーバードの間を埋める車種として初代バイオレットが登場しそのモデルに710型という型式が与えられたから。
ブルーバード車名はメーテルリンクの童話『青い鳥』に由来し、幸運を運ぶ”幸せの鳥”にあやかった縁起のいい名前が採用された。
ブルーバードの歴史においてまず外せないのが、3代目の510型だろう。当時の若者を熱狂させた日産の小型車で、トヨタコロナとともにBC(ブルーバード・コロナ)戦争と言われるほど、熾烈な販売合戦を展開。1970年のサファリラリー優勝、石原裕次郎氏主演の『栄光への5000キロ』の大ヒットなど、日産を代表する名車の一台だ。




















