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今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第85回目に取り上げるのは1997年にデビューした初代スバルフォレスターだ。

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2025-2026年のCOTYイヤーカーを受賞

2025年12月4日に日本カー・オブ・ザ・イヤー(COTY)の各賞がオンラインで発表された。COTYは日本自動車界で最も権威がある賞と言われていて大賞にあたるのがイヤーカーで、その年を代表するクルマだ。2025-2026年のCOTYのイヤーカーは、約25年ぶりに復活したプレリュードの前評判が高かったが、4月にデビューしたスバルフォレスターが選ばれた。

オン/オフを問わない優れた走破性は歴代モデルとも定評があるなか、トヨタのTHS(トヨタハイブリッドシステム)をベースにスバル独自の水平対向エンジン、シンメトリカルAWDを巧みに組み合わせたことが評価された。S:HEVと命名されたストロングハイブリッドはユーザーからも好評で販売面でも絶好調。今回紹介するのは今や日本を代表するミドルクラスSUVの一台であるフォレスターの初代モデルだ。

本格的なオフロード走行も可能なフォレスターはストロングハイブリッドの採用で大幅に魅力アップ

暗黒時代からの脱却

スバルの1980年代は暗黒時代で経営難が続いていた。詳細は割愛するがその大きな要因となっていたのが北米マーケットへの過剰な設備投資。いつ倒れたり(倒産)、他メーカーに吸収合併されてもおかしくなかった。筆者がクルマに興味を持ち始めたのが1980年代に入ってだが、スバルはいいクルマを作るけど経営がヤバい、というイメージしかなかった。海外メーカーではGM、日本メーカーでは日産と資本提携。日産はルノーと資本提携するまでスバルの筆頭株主だった。現在はトヨタが取主要株主となっている。

スバルの状況が一変したのは社運をかけて登場させた初代レガシィ。特にツーリングワゴンが大ヒットし起死回生。初代レガシィは”スバルの救世主”と表現されることがあるが、まさにそのとおりで、スバルの経営を大きく上向かせた。

レガシィツーリングワゴンはターボモデルを追加して販売面で大ブレークしてステーションワゴンブームを巻き起こした

レガシィとインプレッサの2本柱

その次に登場させたのがレガシィよりもひとクラス下のインプレッサ。インプレッサは当初、スバル伝統の水平対向を捨てて新開発の直4エンジンを開発して搭載するという計画もあったようだが、結局は水平対向エンジンを搭載して登場した。

インプレッサはレガシィに代わってWRCに投入された。ランエボとの開発合戦は今でも語り草になっているが、そのWRCでの大活躍もあり、Cセグメントのセダン&ワゴンとして人気となり現在に至る。

これによりレガシィ、インプレッサというスバルの2本柱が完成したのだ。

インプレッサはWRCでの大活躍が販売を大きく後押ししただけでなく、スバルのブランドイメージが爆上がり
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スバルのクロスオーバーカー
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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