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先進性こそブルーバードの真骨頂

910型ブルーバードを登場させるにあたり日産が強調していたのは、「ブルーバードは常に先進的であれ」というもので、近未来の日産車の姿を示唆したモデルでなければならない、という理念のもとに当時の日産の最先端技術が投入されているのは特筆事項だ。

910型ブルーバードはブルーバードとしては最後のFR(後輪駆動)。タイプは違うがトヨタ車で言えば、最後のFRカローラレビン/トレノとなったAE86のような存在だ。

先進技術を多数投入し、走りの仕上がりもよかった

日産はサスペンションにこだわり、路面からの衝撃を効果的に吸収し、ハンドリング性能に大きな影響を与える操安性を高めるためにゼロスクラブサスペンションを採用。日本車ではスバル1000がゼロスクラブサスペンションのパイオニアだが、910型ブルーバードはFRでは日本初採用となった。ゼロスクラブサスペンションはハンドリングがよくなると同時に乗り心地にも好影響。

そして、ラック&ピニオン式ステアリングを採用することでステアリングアフィールが上質なものになった。ベンチレーテッドディスクブレーキの採用によりストッピングパワーも大幅に進化。実用セダンであると同時にスポーツセダンとしても人気を得た要因だ。

2ドアハードトップは若者御用達

進化の手を緩めず

ブルーバード人気はデビュー直後から火が付き、610型、810型の汚名を返上することに成功。販売面で大きく差をつけられていたコロナに対し大反撃、結果的には27カ月連続で小型車(1.6~2Lクラス)のベストセラーモデルとなるなど、日産の予想を超えた大ヒットとなった。

日産は910型の進化の手を緩めず、1980年に日産のターボ戦略第2弾となる1.8Lターボを追加。装備面では当時は憧れの一品だったサンルーフ、オートエアコンの設定など抜かりなし。

セドリック/グロリアに続く日産ターボ戦略の第2弾が910型ブルーバードだった

1982年1月に4ドアハードトップを追加。これは1.8Lクラスのモデルとしは初のピラーレスハードトップで、リアドアを開けた時に三角形にガラスが残ったものの解放感は絶大だった。何よりもセンターピラーがないことにより非常にスタイリッシュで若者を中心に人気となった。ピラーレスハードトップは剛性がなく自動車評論家からは酷評されていたが、カッコよさではレベル違いだった。ピラーレスハードトップには筆者も憧れた。

スッキリとしたサイドビューの4ドアハードトップはクラス初のセンターピラーレス

CMに当時のスーパースターを起用

910型ブルーバードのキャッチコピーは『ザ・スーパースター』、『ブルーバード、お前の時代だ』というもので、CMキャラクターは沢田研二氏。キャッチコピーに合わせてジュリーの愛称で絶大な人気を誇った日本のスーパースターが起用された。沢田氏はタイガース解散後ソロ転向後も人気アーティストに君臨していたが、1977年の『勝手にしやがれ』で大ブレーク。910型がデビューした1979年は『カサブランカダンディ』、『OH! ギャル』も大ヒット。910型ブルーバードは1983年まで販売されたが(営業モデルを除く)、その間沢田氏はお茶の間のスーパースターに君臨。1980年『酒場でDABADA』、1981年『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』、1982年『6番目のユ・ウ・ウ・ツ』、1983年『きめてやる今夜』と毎年大ヒット曲を連発。ブルーバードの成功にスーパースターの貢献度は絶大で、沢田氏は910型の次のモデルである7代目(U11型:このモデルから型式表記がアルファベット+2ケタの数字に変更)の前期までCMキャラクターを務めた。

クーペルックなのも4ドアハードトップが人気だった要因
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今の日産に必要なクルマ
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市原 信幸
市原 信幸

市原 信幸

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