【坂口安吾の愛した店】お好み焼き 染太郎
往年の文士や芸人が集った空気が今もそのまま残る
上・しょうが天(580円) 下・五目天(1300円)
「しょうが天」はキャベツと紅ショウガのみ。
「五目天」はキャベツ、卵、豚肉、生いか、揚げ玉、桜えび入り。コテで押さえるのが浅草式。
築約70年の木造日本家屋で営業を続けるお好み焼き屋。芸人で染太郎の妻・崎本はるが、戦争で染太郎を亡くしたあとに始めたお店で、屋号は後から付けたもの。
常連であった坂口安吾は、店で執筆したり、酔いつぶれて泊まることもあったとか。
温めた年季の入った鉄板にコクの出るカメリアラードを引いて、お客が自分で焼き上げる。ざく切りしたキャベツや和風ダシ入りの生地は、下町の気取らない味そのまま。
3種類の中濃ソースをブレンドした甘めのソースを、刷毛でたっぷりと塗っていただこう。
お店オススメのひと品 しゅうまい天(780円)
豚挽き肉と刻み玉ネギ、ニンニクが入った生地の周りを、切り餅で囲んで焼く。初代女将が考案した。
下が焼いた様子。醤油味でいただく
[電話]03-3844-9502
[営業時間]12時~22時半(入店は21時半まで、22時LO)
[休日]不定休
[交通]地下鉄銀座線田原町駅3番出口から徒歩5分
【高見順の愛した店】元祖 釜めし春
今やすっかりおなじみの 「釜めし」発祥の店
特上釜めし(1690円)
エビ・竹の子・しめじ・カニ・しいたけ・ホタテ・イクラと、豪華な布陣
ひとり用の釜に入れたご飯を供する、いわゆる「釜めし」の元祖。
大正15年(1926)、初代・矢野テルが関東大震災の被災経験から炊きたてのご飯をふるまうことを思いつき、小さな釜を特注して生まれた。復興の中、テルの元を訪れた人には調理方法を伝えてあげたという。
その名残で、浅草にはいくつもの釜めし屋が存在する。注文後に生米と具を炊くため、出来たての味が魅力。作家の高見順も、自身の小説で登場人物に熱々の釜めしをかきこませていた。
炊く際のタレは醤油、日本酒、みりんと至ってシンプル。その素朴さが素材の旨みを際立たせている。
お店オススメのひと品 海老揚げしん丈(960円)
エビのすり身をワンタンに似た皮で包んで揚げた、オリジナルの味。
外は香ばしく、中はふわっと柔らかい
鳥釜めし(1080円)
鳥釜めしは冷めても肉の味がよくわかり美味
[電話]03-3842-1511
[営業時間]11時~20時LO
[休日]不定休
[交通]地下鉄銀座線ほか浅草駅1番出口から徒歩5分
文化の発信地・浅草に魅せられた文人たち
浅草は飛鳥時代から続く浅草寺の門前町として栄え、昔も今も多くの人で賑わう。国内外の観光客に人気の「お江戸」なイメージが強い場所だが、近代日本の芸能・娯楽文化を発展させた最先端の街としての顔も持つ。
江戸時代後期には歌舞伎三座が浅草の東側(旧猿若町)に集められ、明治に入ると、オペラなどの各種劇場や芝居小屋が西側(旧浅草公園六区)に数多く立ち並んだ。日本初の映画館ができたのも、明治36年(1903)の浅草である。
その後、関東大震災や太平洋戦争の苦難を乗り越え、戦後も演劇やストリップ興行で活気を取り戻していった。寺社と遊興地を併せ持ち、聖俗入り混じるエネルギッシュな浅草から、往年の文人たちは大いに刺激を受けていたに違いない。
池波正太郎は大正12年(1923)に浅草で生まれ育った。『天藤』や『前川』での思い出は、随筆『散歩のとき何か食べたくなって』(昭和52年・1977)で語られた。
また亡くなる直前まで浅草に通いつめていた永井荷風は、『尾張屋』にも必ず立ち寄っていた。追っかけが内緒で撮影したという、食事どきの貴重な写真が店に残る。
『染太郎』には、坂口安吾の他、江戸川乱歩や渥美清など様々な文士や芸人、俳優が集った。店内には多くの色紙が並べられており、彼らの息遣いを感じながら食事を楽しめる。
ちなみに31歳で浅草に移り住んだ高見順は、小説『如何なる星の下に』(昭和14年、1939)にて『染太郎』をモデルにした店を描いた。
同小説は、発表時の浅草が舞台。30代の小説家である主人公が踊り子らと釜めしを食べにいく店は、単行本に収録されている「小説案内地図」によると『釜めし春』のことのようだ。熱々の釜めしを囲んだ会話を通じ、男女の人間模様が表わされている。
文士たちが愛した店は、今も変わらぬもてなしの心で、お客を温かく迎えている。これらの老舗に足を運び、今も息づく世界観と味わいを楽しみたい。
参考文献/池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮社)、大本泉『作家のまんぷく帖』(平凡社新書)、高見順『如何なる星の下に』(講談社文芸文庫)
※店のデータは、2019年10月号発売時点の情報です。
※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。