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大人になって「うなぎ」が大好きになったというJohnnyさん(提供写真)

もともと偏食だった それが30半ばで「うなぎ」の美味しさに目覚めて……

「27歳で結婚するまでは偏食だったんですよ。野菜は芋類ぐらいしか食べなくて。若いころは専ら肉でした」

そう語るJohnnyさんが、初めてうなぎを「美味しいと思った」のは、随分と大人になってからでした。

30歳で(横浜銀蝿が所属していた)キングレコードに入社した後なので、35、6の時だったかな。帝国劇場(東京都千代田区)の地下にある『きくかわ』に、当時いたセクションの部長に連れて行ってもらったんですよ。こんなに美味いものが、世の中にあるんだって。それまでもうなぎ自体はどこかで食べたことはあったんでしょうけど、美味いとかの記憶がなくて。うなぎに目覚めたのは、この『きくかわ』からなんです」

「きくかわ」は、1947(昭和22)年創業。神田店をはじめ、帝国劇場地下の日比谷店、上野毛(かみのげ)店と都内に3店舗を構え、静岡県には御殿場店もあるうなぎの名店です。

この体験以降、Johnnyさんにとって、うなぎは一番の好物となりました。

「これは公言してるんですけど、死ぬ前に食べたいのは『うな重』だって」

東京・江戸川橋の「石ばし」が最高!

うなぎがそんなに好きになると、自宅でも食べたくなるのが人情ですが、Johnnyさんの考えは少し異なります。

「スーパーで売っているうなぎもあるけど、やっぱり、お店で食べるのとは味が違う。しゃぶしゃぶとか肉は同じ値段だったら、買ったほうがいいと思うけど。うなぎだけは、お店で食べるものが絶対にいい

“好きな食べ物ナンバーワン”がうなぎになったJohnnyさんは2012年に、ある店を知ります。そして、そこのうな重が自身にとって最高のご馳走になりました。東京都文京区の地下鉄江戸川橋駅から歩いて6分ほど、神田川沿いにある「石ばし」です

石ばしは1910(明治43)年創業。公式ホームページによると、戦前は神田川(当時、この辺りの区間は「江戸川」と言った)の中之橋の袂(たもと)に店舗がありました。昭和20年の東京大空襲で一帯が焼けたため、戦後は約300m上流の川岸から少し宅地側に入った現在の場所に移転しました。

「ここも人に連れて来てもらったんです。本当に美味かったですよ。最高です。だから、死ぬ前に食べたいのは、この石ばしのうな重ということになりますね

こう言わしめるほど、その味に感動したということです。

玄関の煉瓦塀が歴史と伝統を感じさせる「石ばし」

「キリッとしたタレで美味しい。ほんとに上品な味」「身がふっくらした関東風が好き」

Johnnyさんへのインタビューは、石ばしで行いました。石ばしでは、予約の時点で注文内容を確認しています。入店してから30分が過ぎたあたりで、注文した「白焼」(5600円)が運ばれてきました。メインのうな重(特上6900円)が出てきたのは1時間近く経ってから。公式HPには、丁寧な調理の工程が記載されています。うなぎを美味しくいただくための必要な待ち時間というわけです

白焼を一口食べたJohnnyさんは、「美味い」と一言。「わさびでさっぱりとした感じ。うな重と違う味わいで、美味しいです。上品ですよね」

白焼を食べ終えると、いよいよ、うな重の登場です。肝吸いを一口含んだJohnnyさんは「美味いです」。

「白焼」(5600円)

次に、「最後の食事にしたい」というほど美味しいと太鼓判を押すうな重に箸をつけます。口に含んだJohnnyさんは、「やっぱり、美味い!」。笑顔がこぼれました。

「キリッとしたタレで美味しいです。ほんと、これも上品ですね」

関東風の蒲焼は、白焼を蒸して余分な脂を落としてから焼くため身がふっくら。一方の関西風は、蒸さずに焼くためパリッとした香ばしさが魅力です。

「圧倒的にふっくらした関東風が好きです。石ばしのうなぎは、肉厚でふっくらしていて、本当に美味しいですね」

石ばしのうなぎは、「静岡産・九州産の上質な鰻を厳選」(公式HPより)。お店の方に聞くと、この日のうなぎは九州産でした。

本当に美味しい食べ物に向き合うと、感動で口数は少なくなり、味を表現する言葉も簡素になってしまいます。「美味しい」が最も端的で最高の褒め言葉だからです。

「ご飯にかかるタレの量も、ちょうどいいバランスですね。米もうまい。美味しいしか言えないです」

食べる合間合間に何度も漏れる「美味しい」の言葉から、石ばしのうな重の至福の味が、伝わってきました。

Johnnyさんの前に置かれた「うな重」(特上6900円)

「石ばし」以外にもJohnnyさんが推すうなぎの名店3店 「西麻布いちのや」「わかな」「あつた蓬莱軒本店」

Johnnyさんにとって、「石ばし」が第1位なら、第2位は「西麻布いちのや」(東京都港区)です。「2階に個室があるんで、打ち合わせにはちょうどいいお店なんです。仕事の会食で使っています。夜ですからコースを頼んで、最後にうな重が出てきます。やや甘めのタレで美味しいです」

第3位は、「割烹蒲焼わかな」(横浜市中区)。1872(明治5)年創業の老舗です。「『わかな』は地元ということもあって、家族や親せき、友達とよく来ます。もう20年ちょっと通っています。完全にプライベートで通っているお店です。タレはあんまり甘くなくて、キリっとした辛めの味がいいですね」

そして、番外編として挙げたのが、1873(明治6)年創業で名古屋市の熱田神宮からも近い「あつた蓬莱軒本店」。5年ほど前、映画のキャンペーンの際に訪れたのが最初といいます。名古屋のうなぎといえば、刻んだ蒲焼をご飯にまぶした名物「ひつまぶし」。「関西風のパリっとした香ばしく焼き上げたうなぎ。基本は、ふっくらとした関東風がいいんです。ただ、ひつまぶしは“味変”していくじゃないですか。わさびを付けたり、お茶漬けにしたりと、うな重と違う楽しみ方ができるでしょ」。名古屋を訪問した際、時間があれば必ず行くというほど気に入ったお店だということです。

「もちろん、『きくかわ』にもよく行きました。コロナ前ですけど、月に1度とか、部下を連れて行ったりね。(会社から)有楽町線で一本なので行きやすいですし」

うなぎは「いつでも食べたい」 この年末のラストスパートは「うなぎパワーで乗り切る!」

うなぎは、滋養に効果があるとして、現在では7月の「土用丑の日」に食べる習慣が定着しています。しかし、本来、脂がのった旬の季節は秋から冬と言われています。土用丑の日にうどんなど「う」の付くものを食べることや、夏に精のつくうなぎを食べる風習は古くからあったそうです。ただ、現在のように土用丑の日に、うなぎを食べることが一般的になったのは江戸時代からと言われています。

因みに、「石ばし」は、この書き入れ時の土用丑の日は、うなぎ供養として定休日にしています

このように、土用丑の日や記念日、頑張りたい時などちょっと特別な日に食べたくなるうなぎですが、Johnnyさんは、基本的に「食べたい時に食べる」という姿勢。季節に関係なく「いつでも食べたいですね(笑)」と、コロナ前は月に1度はお店で食べていたそうです。ライブの前などに気合を入れるために食べることはなかったといいますが、現在は、横浜銀蝿結成40周年を記念したツアーやイベントが佳境に入っています

「(ハードな)ツアー日程をこなす上で、『食』は大切。そういう意味では、やっぱり、うなぎは“勝負メシ”になる。うなぎを食って、元気を出しますか!」と、年末のファイナルステージに向けたラストスパート期間を、“うなぎパワー”で乗り切る覚悟を語ってくれました。

ニューアルバム『ぶっちぎり249』、大晦日にファイナルカウントダウンライブ… 横浜銀蝿40thは「現在253歳!」

2020年は、横浜銀蝿にとって40周年の節目でした。「横浜銀蝿40th」としてオリジナルメンバー(嵐、翔、Johnny、TAKU)で復活を果たし、2月にはオリジナル&ベストアルバム『ぶっちぎりアゲイン』をリリース。9月にはシングル「昭和火の玉ボーイ」を発売するなど健在ぶりを世間にアピールしました。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大で、予定されていた全国ツアー「横浜銀蝿40th コンサートツアー2020~It”s Only Rock”n Roll集会 完全復活編 Johnny All Right!~」が延期に。この緊急事態を受け、2020年の1年限定だった完全復活期間は、2021年12月31日まで延長されることになりました。

コロナの逆風は相変わらずですが、2021年、メンバーの活動はさらにパワーアップ。延期となったツアーを4~6月に実施し、9月8日にはニューアルバム『ぶっちぎり249』を発売したほか、10月からは「ファイナルツアー バハハ~イ集会『昭和魂 永遠!』」を12月まで全国11カ所で計12公演を開催するなど精力的に活動しています。

「ニューアルバムは3月に出す予定だったのが、コロナで半年延びたんです。タイトルの『249』は、今年3月時点の4人の年齢を足した数。今は、253歳なんです(笑)」

12月には、ファイナルツアーのほか、ファンにはたまらない特別イベントも予定されています。

そのひとつが、嶋大輔、紅麗威(ぐりい)、矢吹薫、麗灑(りさ)といった“銀蝿一家”の面々も参加する「横浜銀蝿40th presents 銀蝿一家祭~令和・冬の陣~」。12月26日、都内のZepp HANEDAで行われます

そして、大晦日の無観客配信ライブ「横浜銀蝿40th ファイナルカウントダウンライブ『ゆくじぇい くるじぇい 配信だじぇい』」(21時半から配信スタート)で、横浜銀蝿40thとしての活動に終止符が打たれます

横浜銀蝿40th。活動終了へカウントダウンが迫る(提供写真)

「高校生の時と同じ純粋な気持ちで音楽ができる幸せ」

音楽を始めたのは、高校生の時。翔君と同じクラスで出会って、お互いロックンロールが好きで、永ちゃん(矢沢永吉)の『キャロル』みたいな格好いいバンドをやろうよって。純粋に好きな音楽を奏でることからスタートした。それで銀蝿としてデビューできたわけですけど、30歳で裏方になった。ずっと音楽でメシを食えていることは幸せですけど、だんだん好きなことが、マーケティングを考えたりして仕事になってくる。それが最後の最後に、こういう機会がきた。60歳を過ぎた自分たちが、周囲からどう見られるかなんて、考えてない。自分たちが、これ、格好いいなって思うものをやっている。高校生の時と同じ気持ちでできてることが幸せ。最後の最後に神様がご褒美くれた。すごく、いま楽しいですね。原点に戻れている

還暦を過ぎてもパワフルな4人のステージに、ファンは熱狂。コロナ禍という緊急事態の中、40thとしての2年間は、新たな“伝説”を生みました。

「40thに参加するまで20年、ギターを弾いてなかったんです。以前だったら、本番で弾くのを間違ったら後悔していたと思うんですけど、くよくよしないでやろうと。期間限定なので、後悔している時間がもったいないから。みんなに元気を与えたいですね!

2021年9月にリリースされたニューアルバム『ぶっちぎり249』 https://ginbae40th.com/discography/1297/

Johnny

ジョニー。1958年、横浜市生まれ。ギター担当。1979年9月21日、翔(ヴォーカル、ギター)、嵐(ドラム)、TAKU(ベース)と「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」(略称「T.C.R.横浜銀蝿R.S.」)を結成し、80年9月21日にシングル「横須賀Baby」とアルバム『ぶっちぎり』でデビュー。「ツッパリHigh School Rock”n Roll(登校編)」や「あせかきベソかき Rock”n Roll run」などヒット曲を連発し、日本のミュージックシーンに大きな足跡を残しながら、83年12月31日で解散した。バンドと並行して、ソロでも活動。「ジェームス・ディーンのように」などのヒットを飛ばした。30歳でキングレコードに入社。数々のアーティストを手掛け、現在はキングレコード系列のベルウッド・レコードで代表取締役社長を務める。https://ginbae40th.com/

「石ばし」の店舗情報

「うな重」香物・肝吸い付き(特上6900円)

[住所] 東京都文京区水道2-4-29
[電話] 03-3813-8038
[営業時間]11時半~14時半(13時半ラストオーダー)、18時~21時(19時半ラストオーダー)※要予約
[休日] 日、月、祝日、土用の丑の日
[交通]地下鉄有楽町線江戸川橋駅4番出口から徒歩約6分
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で営業時間は異なる場合があります

文・撮影/堀晃和

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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おとなの週末Web編集部 堀
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