賭けゴルフ如きで一生を棒に振るなんて
「仄聞でけっこうですが、一番勝った人の金額は?」
「D社の専務、この人はシングルですが、私も手痛くやられました。E社の社長など個人的なニギリで300万円も取られたそうです。もちろん1ラウンドでの話ですよ。数年前には1年間で1000万円近く稼いだと聞いております」
「賭博現行犯として、警察が乗り出しても不思議ない話だ。コンペの帰路、罰金でパーティをやるそうですが、その席で現金の授受が行われるのですか?」
「そうです。6ヵ月目の清算日には店の人間まで人払いして、札束が飛び交います。ときには負けた者が罵声を発して殺気立つこともあり、どこから見てもビジネスマンとは名ばかり、博徒の群れです」
賭けゴルフは「西高東低」と言われるが、なに、関東はむろんのこと、北海道から沖縄まで賭け嫌いを捜すほうが困難なほど広範囲に行われる。いまやクラブハウス内での現金授受など珍しくもない。
啓蒙家のカーネギーによると、賭けには麻薬と同じ常習性が宿るそうだが、人前で臆面もなく賭け金の相場を決めるゴルファーが日本列島二千百余のコースを闊歩する。彼らの多くはパチンコ、麻雀と同じ感覚でゴルフを楽しみ、賭けがゲームの精神に反するとは思わない。
以前、手広く風俗営業の店を展開していた社長が賭けゴルフに嵌まり、2年間で7億円も負けた末に、自家用車の中で拳銃自殺した例もある。また、甘言に乗って最初のうちは勝たせてもらい、やがて身元を隠したセミプロと勝負させられる羽目になって、親の代から続いた病院を手放したケースもある。
「それで、私にどうしろと言うのですか?」
「とにかく、直面している醜悪な世界から逃げ出したいのです。いまではゴルフをする気にもなれません」
「率直に言って、むずかしいと思います。このノートが唯一の証拠、金額も警察が関心を持つに十分でしょうが、賭博は現行犯逮捕が原則、6ヵ月の清算日に現金授受の場所を通報し、踏み込んでもらうしかありません。その場合、あなたが通報者であることは一目瞭然です。正しいことをしたのに、会社まで辞めなければなりません。その覚悟がありますか?」
しばし沈黙したあと、彼は自嘲の呟きをもらした。
「ばかばかしいですね、賭けゴルフ如きで一生を棒に振るなんて。しかも正しいことをしたのに」
会話の糸口を見失ってしまった私たちは、無言でコーヒーを飲むだけだった。彼から聞いた話によると、賭け金が払えずにコンペから脱落した役員もいるらしい。若干の負債なら交際費によって補塡もきくだろうが、こうも金額が大きくなると会社に相談するわけにもいかず、結局、個人的にやりくりするしか方法がないはずだ。
「博打は人間関係に悪影響しか与えないものです」
しばらくして、私は言った。
「とくに負けた人の恨みは想像以上に根深いもの。このコンペの人間関係も長くは続かないと思います。放置したらどうですか?」
「で、私はどのようにしましょう?」
「家庭内に事情が発生して、カネの必要に迫られたとでも言って、幹事を辞めたらいかがですか?」
「わかりました。そうします」
暗澹たる気持ちで彼と別れたが、心のどこかで快哉も叫んでいた。彼の出現こそ、朱に交わってきた人間の中にも日本のゴルフがおかしいと思う者が増えてきた証拠である。
ゲームの奥に宿る知性さえ理解できれば、ゴルフは賭けなくても十分おもしろいのに、情けない奴が多すぎる。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1934年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。