「夢の実現」と「自己承認」に因果関係はない
あと、相談内容を見ていると、夢や目標がなくて努力をしていないから自己承認ができていないと書いていたけれど、それは違うと思う。
確かに、夢を持って努力して、それが叶った人は、その努力が無駄じゃなかったと今までの自分を肯定することもできるでしょう。
けれど、夢を叶えても自己肯定感の低い人間も多いのだ。成功者であっても自己嫌悪から精神的に病んでしまう人もいるし、自ら命を断ってしまう人もいる。なんであんな凄い人が、と思う人も多いだろう。
どういうことかというと、夢を追っている、達成した、などの事象と、自己承認に因果関係などないということなのだ。
私たちが自身を愛するために必要なのは、夢に向かって努力をすることではない。だから、無理をして努力をして、それを達成したとしても、自分で自分を肯定してあげることが出来ないことも多いのだ。
私もその一人。
この世界でご飯を食べられるようになったのだけれど、その事実だけでは、自身のことを肯定なんて微塵もしてあげることが出来ていない。
夢の達成は、一瞬の達成感に包まれることはあるけれど、人間の本質を変えるほどの力がある訳ではないのだ。
では、自己承認をどうやってしていけば良いのか。
もちろん、段階はあるし、私自身が自分のことをちゃんと認めてあげることがまだ出来ていないのだけれど、まず最初にできることと言えば、『時間をかけて、自分の歪みを自分が許して、他者から守ってあげること』にある。
相談者の方で言うのであれば「自分磨きが出来ない」という自分も、それでいいじゃないか、と開き直れるかが自己承認の第一歩なのではないかと思います。
自分磨きが出来ないことで、誰かに迷惑をかける訳でもないんだから。
その事実で自分のことを嫌いになる一方なのであれば、まずはその自身の思う自分の歪んだ部分を自分が許してあげるところからやってみましょう。
自分磨きが出来ない、というのは、言い換えれば、見栄を張らない、とも言い換えることができるし、いくらでも良いように言い換えることができる。
そうやって自分の嫌いな面を少しずつ違う表現をして違う角度から見ることでも、悪いものではないのかも、と思えるようになるかもしれません。
自分に厳しいと、自分の歪んだ部分と向き合ったときに、自己嫌悪に陥りやすくなってしまいます。
自分に優しく。
変わってる部分も、人と異なる部分も、社会で生きていくにはいらない部分も、まずは自分自身が、それが自分だと許してあげて、認めてあげてみてください。
自己承認にまず必要なのは、夢でも努力でもなく、自分が弱い自分を許してあげる自己愛に他ならないのです。
自分の心に正直にいることが「自分を大切にする」ということ
自分のためにどうしたら頑張ることができるのか、という問いについても同様だと思います。
私は「よく趣味が多いですね」だの「好きなものが沢山あっていいですね」だの言われることがある。確かに、漫画や本を買って読むし、気になったら油絵を描いてみたりカメラを買って写真を撮ってみたり、将棋盤を買って将棋をしてみたり、多趣味な方なのだと思う。
けれど、これって何をしているかって、私は私の心に忠実でいよう、と心に決めているから、気になったものはすぐにやってみよう、と行動に移しているんです。
何も考えていなかったり、何も感じていないようで、ちゃんと耳を傾けてあげると、自分の心は常になにかを言おうといています。
「あれが心地よい」「あれは好かん」「やってみたい」そんな小さくて弱い自分の心の声を聞き漏らさず、じゃあやってみよう、と自分が自分の一番の味方でいてあげているだけなんです。
自分を一番大切にしてあげられるのは自分自身。もしも、自分磨きをしたい、って心が言っているのであれば、面倒であっても、その心の声を大切にして行動してあげてください。
「やっぱり面倒くさくていいや」って、心の声が言うのであればやめればいい。
心の声を無視して、行動に移さないのは、自分自身を大切にしていないことなんです。
自分の心に正直に。
自分の心を、自分自身が甘やかしてあげてみてください。最初は面倒だと思うかもしれませんが、自分の心を甘やかせば甘やかすほど、最終的にはなりたい自分に近づく手段になる訳です。
現代を生きていても、誰も自分のことを甘やかしてくれる人はいませんから。純粋な、見返りを必要としない愛は、まず自分が自分の心に対して与えてあげるべきなのです。