ヒトラーにスパイ容疑で捕えられた友
午前の7番ホールまで、彼はグラスゴーから来た強豪ジャック・マクリーンとイーブンだった。その7番が135ヤードのショートホール、9番アイアンで打たれた彼のボールは高く舞い上がってピンと重なり、落下後ワンバウンドして「スポッ」とカップに吸い込まれた。まさに劇的なホールインワン、これで1アップだ。
午後の14番、205ヤード、パー3では、折から向かい風が強いこともあって、ティショットにはドライバーが起用された。ボールは再びピンと重なり、落下地点から2メートルほど転がって、またもや「コトン」とカップに消えた。この日2度目のホールインワンとは!
さらに16番、415ヤード、パー4では、左ラフからスプーンで打ったボールが直接カップに入るイーグルまで飛び出して、これでもかの奇蹟の連続に5000人のギャラリーも大興奮。ところが信じられないことに、終わってみるとジャック・マクリーンが勝っていたのだ。ここがマッチプレーの恐ろしさ、1日2度のホールインワンも、36ホールの中では2アップにしかならない。
「実らなかったスーパーショット」
新聞は悲劇的に書き立てたが、例によって彼は微笑するだけ、試合後のコメントも簡潔だった。
「一生懸命にやりました。だから悔いはない。マクリーン選手から多くを学びました」
表彰式は、ロイヤル・カウンティダウンの18番グリーン横で行われた。カップの授与に先立って、競技委員長のトーマス・ベニガン卿から、試合直前、出場不能となった1人の選手が紹介された。
「彼の名はフランク・レーン。エディンバラに留学中ゴルフを覚えて祖国ドイツに戻っていたが、今回の予選会ではメダリストの栄誉に輝き、一時帰国後、本選に向けて出発する直前にスパイ容疑で逮捕された。ヒトラーの軍縮会議と国際連盟からの脱退に反対したためだというが、真のゴルファーは平和を愛するもの、彼の行動に心からの敬意と拍手を送りたい」
委員長の話に、一番驚いたのがエリックだった。彼は去年のスコティッシュ・アマでドイツ青年と戦い、ホテルのバーでは偉大な音楽家たちについて大いに語り、その見識に脱帽したばかりだった。
優勝したマクリーンに次いで、彼には準優勝の盾が手渡された。どうしても聞いておかなければならない。祝福の手を握ったまま、彼は競技委員長に尋ねた。
「彼はどうなりますか?」
「スパイ容疑は重罪。憂慮すべき事態だと思う」
自分の席に戻って、正面に視線を据えると、不意に彼は朗々と「アヴェ・マリア」を歌い始めた。いま友人に出来ることをする、一条の涙を流しながら、彼は透明な声で歌い続けた。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。