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今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。

夏坂健の読むゴルフ その45 ヒトラーの大ダフリ

優勝者には純銀の豪華なトロフィーを

気性の激しい人、微かに狂気が宿る人は、例外なくチョコレートが好きだといわれる。

歴史研究の碩学、レイ・タナヒル女史の『Food in History』によると、過去の侵略者は常に身辺からチョコレートを離さず、茶褐色の唾液にまみれて叱咤激励に明け暮れたものらしい。

察するに、人一倍旺盛な攻撃ホルモンが枯渇しそうになると、本能がチョコレートに含まれた興奮作用の助けを求めるらしく、ナポレオンにして、

「おい、チョコを持て」

あるいは禁酒法時代、シカゴのバーの酒類を片っ端から斧で壊して歩いた「鬼オンナ」こと、マリー・ポッター女史のように、

「くたばれ、バッカス」

髪ふり乱す紅唇には、常にチョコバーがくわえられていた事実など、要するにアルコール、ニコチンの補充と同じく、攻撃的あるいは偏執的な人にとってチョコレートは必需品と考えられてきた。

そして、ここにもう一人忘れてならないチョコ中毒患者がいる。アドルフ・ヒトラーだ。彼の身辺について書かれた何冊かの本によると、チョコの箱が目に入った瞬間、手を伸ばさずにいられない性分だった。

1936年は、彼にとって生涯の威信を賭けた劇的な年といえる。第11回オリンピック、ベルリン大会こそドイツの国威を世界に誇示する絶好の機会だった。

彼はオリンピック史上空前の巨費を投入すると、ベルリン郊外グリュネワルドに10万人収容の大スタジアムを建設した。さらには、発祥地ギリシャのオリンピアで採火した聖火を1500余人のリレーで会場に運ぶこんにちの方式まで考案する。

「ベルリン大会では、地球上に存在するすべての競技が行われなければならない!」

彼の命令は神の声、それまで1900年と1904年の2回だけ登場して儚く消えたゴルフにも、32年ぶりでお呼びがかかることになった。

当時の記録によると、ゴルフ競技に各国2名の選抜チームが出場、72ホールのストロークプレーによって順位が決定される。各チームには監督とコーチ、それに補欠1名の帯同が許された。試合会場には、古くから多くの詩人によって「黒い森」とうたわれたフランス国境に近い高級保養地、バーデン・バーデンの18ホールが当てられた。ベルリン大会自体、参加49ヵ国、出場選手4000人という空前の規模を誇っただけあって、ゴルフ競技にもエントリーが多く、実に22ヵ国から出場の申し込みがあった。

ヒトラーのような男にとって、自分の思い通りにいかないゴルフは癪のタネ以外、何物でもない。従って彼はゴルフをやらなかったが、貴族趣味だけは人後に落ちず、ゴルフに22ヵ国も参加すると聞いて、直ちに純銀製の重厚かつ華麗なトロフィーを作らせた。いま実物は英国ゴルフ協会の資料室に眠っているが、以前ロンドンのデパートで特別展示されたとき、好事家から当時の邦貨で「9000万円」の購入希望があったそうだ。あれほど豪華なトロフィーはざらにないと、「ザ・タイムズ」も折り紙をつけたほどの出来栄えである。

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おとなの週末Web編集部 今井
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