今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その34 虎の伝説
パーマーのルーキー時代とよく似ている
まず、名前がいい。
ベトナム戦争に従軍していた父親に親友がいた。2人は軍隊で偶然知り合ったにすぎないが、極限の日々にあって急速に心を許し合い、行動は常に一緒だった。ところがジャングルでベトコンの待ち伏せに遭って、親友は数発の銃弾を浴びる。
傷心の父親は、わが子が全米ジュニア選手権に出場すると決まった日、かねてからの考えを打ち明ける。
「エルドリック・ウッズが悪いというのではない。しかし、これからは大勢の人に覚えてもらうことも必要だと思う。そこで、私が生涯忘れることの出来ない立派な男の名を、お前に名乗ってもらいたい。その男の名前はタイガー・ポーランド・ジュニア。そこから借用して『タイガー・ウッズ』というのは、どうだろう」
「カッコいいね」
「よし、決まりだ。パットだけはショートするなよ」
レベルの高さで日本のツアー以上といえる全米ジュニア選手権で、誰もが驚く3連勝、18歳から出場した全米アマ選手権でも3連勝、地球はタイガーと共に回り始めた。
父親は心技体の三拍子揃った立派なゴルファーであり、ゴルフの歴史にも造詣が深いと聞く。これは推察にすぎないが、「タイガー」命名の背後には、もう一つの思惑が働いたような気がしてならない。
それというのも、かつてのゴルフにハンディキャップは不在、腕前に応じて上級者は後方の「タイガー・ティ」から、ダッファー諸氏は前方の「ラビット・ティ」からゲームに臨んだものである。その差は50ヤード前後が好ましいと記録にも残されている。現在のバック・ティ、フロント・ティは、その名残りといえる。
「それでもタイガーは、必ずラビットに追いつき、獲物が小さいからといって手抜きすることなく、全力を傾注してこれを倒すのだ。見よ、タイガー・ティに立つ男の姿を! 全身誇りと自信に満ち溢れているではないか」
桂冠詩人アンドルー・ラングも、1893年に発表した詩集の中で「タイガー讃歌」を書いている。父親は当然タイガー・ティの話を知った上で、二重の意味を考えた命名だったように思えてならない。
次にいいのが、その試合態度とマナーである。プロ転向39日目にして初優勝を飾った直後、厳密に言うとタイガーがネバダ州のTPCサマーリンでプレーオフに勝った2時間後、現地から手書きのファックスが私の仕事場に飛び込んできた。
「タイガーが優勝したよ。興味があるなら、なんなりと。ジム・ドッドソン」
毎年フランスで開催されるゴルフ・ジャーナリストの集いが縁、ジムとも親交が続いている。彼はタイガー番を命じられて、ルーキーの5試合すべてに密着中だった。そこで大至急、次なる返事をラスベガスに送った。
「きみの友情に感謝する。全米ジュニアの緒戦からタイガーに注目してきた。もし可能なら、同じ試合に出ていた選手のコメントを極力たくさん集めて欲しい。もちろん、素顔のタイガーがどんな男なのか、知りたいのはこの一点だけ。
ところで東洋には、持つべきは友という格言がある。いかなる財宝も真の友情に及ばない事実が、ラスベガスによって証明された皮肉もまた、ゴルフの副産物らしくていいね」
それから2日後、特別注文のコメントが届けられた。ジムの仕事ぶりは完璧だった。
「タイガー・ウッズかね? 彼は眩しい男だよ。
新人には2種類あって、鼻持ちならない奴と、妙におびえた感じの奴に分けられるが、彼はそのどちらでもない。誰に対しても礼儀正しく、きちんと挨拶するし、ファンに笑顔も忘れない。パーマーのルーキー時代とよく似ているような気がする。
どちらにしても彼とフィル・ミケルソンが両輪となって、これからの米ツアーは動くと思うね」(ブレッド・カプルス。タイガーとは4打差だった)