今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その28 砂丘に棲む仙人
トム・ワトソンも絶賛したコース
アイルランドの国宝的コース「バリバニョン」は、世界名コース百選の中でも常に上位にランクされて、ゴルフ教信者の巡礼が絶えない。
ひとたびコースに足を踏み入れた瞬間、目前に広がる壮厳にして雄大な野性的景観に誰もが魂まで奪われる。しかも、印象が強烈すぎて、その後何年にもわたって夢遊病状態から立ち直れないのである。
私の場合も、寝つきの悪い夜には巡り歩いた国の名コースに思いを馳せるのが若いころからの習慣だが、アイルランドではバリバニョン、ポートマーノック、ラヒンチ、ロイヤル・ポートラッシュ、キラーニーといった名コースが脳裏に登場して息苦しい限り、さらに寝つきが悪くなる。
とりわけバリバニョンの芸術的としか表現できない流麗な砂丘のスペクタクルは、いますぐに駆け戻りたいほど蠱惑的である。もちろん、このコースに惚れ込み、生涯の聖地として畏敬し続けるのは私一人ではない。
「これまで見たリンクスの中でも最高。彼方に神がおわすと思わせる啓示的光景の連続に、鳥肌の立つ思いがした。地球上の全ゴルファーに、一度は訪れるよう進言する」(文豪、ハーバート・ウォーレン・ウィンド)
「純粋無垢の自然がゴルフ最大の喜びとするならば、私はバリバニョンの希有なる存在に率先して一票を投じたい」(ピーター・ドーベライナー)
「コース設計家たらんとする者は、まずここに住み、風と光と起伏について学び、それからゴルフの仕事を始めるべきである」(トム・ワトソン)
バリバニョンを訪れた者は、その瞬間から豊饒な想い出の中で生きることになる。
さて、アイルランドの南西に位置するケリー州は、かつて大陸から渡来した多くの種族の遺跡が豊富に残されるところから、考古学者のあいだで「垂涎の地」と呼ばれてきた。
トラリーの小さな町から北に40キロ、美しく流れるシャノン川の南岸沿いには、1世紀ほど前までアイルランドでも珍しいヤシ科の樹木が延々と密生していた。結果として、その茂みが遮蔽に役立ったと思われるが、1850年ごろまで、川の背後に世界屈指の壮大な砂丘が存在するとは、近くのリマリック市民でさえ知る者が少なかった。
地質学者によると、永劫の歳月、大西洋の荒波と風が海底の砂を押し上げて荒涼たる砂丘が形成されたという。風は気まぐれに複雑な斜面を作り、光り輝く尾根から一気に小さな谷に向かって吹き下りると、人知では計測不能の起伏が取り残された。