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バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、激動の時代だった1990年代。そんな時代を、浅田次郎さんがあくまで庶民の目、ローアングルから切り取ったエッセイ「勇気凛凛ルリの色」は、30年近い時を経てもまったく古びていない。今でもおおいに笑い怒り哀しみ泣くことができる。また、読めば、あの頃と何が変わり、変わっていないのか明確に浮かび上がってくる。

この平成の名エッセイのベストセレクションをお送りする連載の第95回は、「良識について」。

われらの内なるオウムの存在

オウムによる坂本弁護士一家殺害事件は、思い出すだにおぞましく、憤満やるかたない。

オウムの存在とその出現をめぐって、われわれが今、一番考えねばならない問題とは何であろう。少くともそれは、醢(しおから)をくつがえして歎(なげ)くことではなく、髪を逆立てて怒ることではあるまい。

まことに信じ難い事件ではあるが、オウムが出現し、しかも犯罪を犯しながらかくも長きにわたって彼らが社会に存在したのは厳然たる事実であるのだから、われわれはその出現と存在の理由について、合理的に科学的に究明していかねばならぬと思う。

すなわち、歎くよりも怒るよりもまず、われらの内なるオウムの存在に気付かねばなるまい。

彼らの所業は悪魔のそれであるが、肉体の構造も生育環境も、さほどわれわれと異っているわけではない。したがってわれわれの心の中にも生活のうちにも、必ずオウムは潜んでいると思うのである。

──などと、宗教家のような考えをめぐらしながら、先ほど銭湯に行った。

湯舟も洗場もサウナ・ルームも、歎きと怒りに充ち満ちていた。

かくいう私も、若い時分は血も涙もねえ野郎だと言われたのであるが、年齢とともにすっかりヤキが回ってしまい、噂話の中に龍彦ちゃんの笑顔を思いうかべては汗にまぎれて涙した。

と、おっさんたちが汗と涙にくれるサウナ・ルームに、突如として極めて行儀の悪い少年が二人、闖入(ちんにゅう)してきた。

小学校高学年とおぼしき2人の少年は、いったい何を食い、どうやって遊んでいるのかは知らんが、ともに豚のごとく肥えていた。

以下、豚少年の会話。

「おまえんち、親は心配しないのかよ」

「フロヤなら心配しねえよ。ゲーセンとかコンビニだと怒るけど、ダイエットだもんな」

「塾の帰りにサウナっての、いいよな。怒られないし、ダイエットできるし、たった700円だぜ」

「よおし、1キロ落とすぞォ」

少年たちの置かれている状況はだいたいわかった。不愉快ではあるが、不自然ではない。周囲の大人たちも、まあそのあたりは理解したようで、しきりに苦笑していた。

ところが、少年たちはやがて我慢のならぬ行動を始めた。ひんぱんにサウナ・ルームの出入をくり返す。そのつど水風呂に飛びこみ、ビショビショの体でまた入ってくる。いかに豚少年とはいえ、子供の肉体がサウナに適さぬことは自明であるから、当然そのような入り方になるのであろうが、問題はマナーである。

塾の帰りに銭湯に寄るのも、風呂銭を「たった700円」と認識するのも、それは個人と家庭の見識であるのだからとやかくは言えない。しかし公共の場におけるマナーを知らず、また親が教えないということはけしからん。実にけしからん。

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バスタオルを巻いて湯船に入る少年たち...
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おとなの週末Web編集部 今井
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