救済レースは“凡タイム”で優勝
その後、瀬古は3月の「救済レース」びわ湖毎日マラソンで2時間12分41秒と凡タイムながら優勝。五輪代表に選出される。10月のソウル五輪では中山が表彰台に6秒届かず4位、瀬古は9位。このレースで瀬古は現役を退いた。結局、二人がレースで相まみえたのは、中山のデビュー戦と、瀬古の引退レースだけだった。
堂々の日本男子マラソン界のエースとなった中山だったが、ライバルがいなくなってからは、ひと頃のような絶対的な力強さが見られなくなる。ソウル五輪以後、中山が優勝したのは1990年の東京国際マラソンのみで、10分台を切ったのも1度だけ。それまでなかった途中棄権が2度もある。今、思えばソウル五輪代表選考会が中山の最盛期だったのかもしれない。
2024年夏のパリ五輪男子マラソン代表の、最後の一枠を決めるMGCファイナルチャレンジ(3月3日、東京マラソン2024)には、2時間5分50秒という設定タイムがある。勝負だけでなく、記録にもこだわらなければならない厳しい戦いだ。あの日の中山のように、勇気をもって飛び出す選手は現れるのだろうか?
石川哲也(いしかわ・てつや)
1977年、神奈川県横須賀市出身。野球を中心にスポーツの歴史や記録に関する取材、執筆をライフワークとする「文化系」スポーツライター。
Adobe Stock(トップ画像:Augustas Cetkauskas@Adobe Stock)