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女将やマダムのいる店は、何かが違う。「女将」ってなんだろう?その姿に迫る『おとなの週末』連載「女将のいる場所」を、Webでもお届けします。第6回目の今回は、東京・両国にある昭和57年開業のうずら鍋と季節料理の店『四季の味 ふじ芳』の女将、藤田ヨシノさんです。

『四季の味 ふじ芳』の女将・藤田ヨシノさん

同郷の夫婦(めおと)である。生まれは新潟県新発田(しばた)市、出会ったのは隣の新潟市。古町(ふるまち)という、柳通りに芸者衆が行き交う花街の立派な料亭で、藤田ヨシノさんは仲居を務めていた。

姉に続いて15歳からなんとなく始めた仕事だったが、これが楽しかった。別世界の大人と会話ができる接客も、自慢の運動神経が生きるお運びも。

昭和35年。この店へ入ってきた新米料理人が、2歳下の芳男さんだ。

「一番下っ端の“小僧”ですから、みんな帰った後も、雪の夜の冷え込む厨房で遅くまで鰹節を削っていました」大変ねぇ、なんて見ていた彼と恋仲になった。

周囲に離され芳男さんが東京へ修業に出ると、一年後にヨシノさんは後を追う。新宿の和菓子屋で売り子をしたが、やっぱり「楽しくて」。元来、くよくよしない性分である。

『四季の味 ふじ芳』の女将・藤田ヨシノさん

東京オリンピックが開催された昭和39年、雇われだが、ふたり揃って新潟料理店を任される。店は新聞にも載るほどの繁盛店となり、翌々年には長男も授かった。

反面、順調ゆえに肝心の独立目標は遠のいていく。出直しが必要。そう考えた夫妻は店を辞め、尊敬する親方の下で、料理と接客のなんたるかを再び一から教わる道を選んだ。

浅草橋の『沢』という割烹を借りる形で独立したのは、昭和57年である。後に店名を『ふじ芳』と改め、ヨシノさんは義母から譲り受けた着物を纏い店に立った。繊細な性格の息子を案じた義母から、「この子はひとりじゃ生きていけないから、お願いします」の言葉とともに託されたのだ。

築60年以上の木造2階建ては、艶光りする木の質感が心地よく、常連客にも恵まれて35年。それだけに再開発で両国への移転が決まると、誰もが惜しんだ。「でも看板の“うずらなべ”の字が通りで目立つのよ」

今日もまた何十年と通う美容院で髪を結い、割烹着を着けて店に出る。傘寿(さんじゅ)を超えた圧倒的な美しさ。変わらぬ健脚で階段をタタタッと昇り降りするのは、全テーブルで「うずら鍋」のお世話をするためだ。

『四季の味 ふじ芳』うずら鍋

「ダシは濁らせない」を信条とする大将の名刺代わりは、必ず女将が完成させる、夫婦の代表作でもある。鍋奉行をやりたがるお客にも「お任せください」と触らせないのは、彼らに楽をさせるためじゃない。大将のダシを守るため、である。

『四季の味 ふじ芳』

うずら鍋と季節料理の店として、1982年に浅草橋で開業。2018年5月に両国へ移転。1階は清々しい白木のカウンターで、張りのある大将の声と女将の笑顔が迎えてくれる。2階はテーブル席。現在は2人の息子も加わった家族経営

『四季の味 ふじ芳』

[住所]東京都墨田区緑1-15-9
[電話]03-3631-0408
[営業時間]17時〜23時(22時LO)
[休日]日・祝
[交通]都営地下鉄大江戸線両国駅A5出口から徒歩3分、JR総武線両国駅東口から徒歩7分

文/井川直子、写真/大森克己

2024年3月号

※2024年3月号発売時点の情報です。

※写真や情報は当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。必ず事前にご確認の上ご利用ください。

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おとなの週末Web編集部
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