某事件をきっかけに脚光を浴びている初代NSXですが、このホンダ初のスーパースポーツカーは、何から何まで日本車の常識を超えた特別な存在でした。
画像ギャラリー今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第15回目に取り上げるのは、初代ホンダNSXだ。
不名誉ながら某事件で脚光
初代ホンダNSXは、ゴールデンウィーク明けに発生した某事件をきっかけに必要以上に脚光を浴び、注目されることになってしまった。私の知人のホンダ関係者は、「なぜ具体的車名を出すのか? 非常に不名誉」とご立腹。まぁとんだとばっちりだ。
今回の事件を報道するのに、ホンダNSXやホンダNRという具体的な車名を出す必要はあったのかなという思いはある。「高級スポーツカーと高級バイク」という表現でも良かったのでは。でもNSXやNRというスペシャルなものほど、注目されやすいのも事実。ただ、容疑者本人が自身のSNSで写真とともに車名も明かしているので、メディアが隠したところで、結局は分かってしまう。メーカーやオーナー、ファンにとっては迷惑な話だろうが……。
シカゴオートショーでプロトタイプを公開
NSXは1989年2月、シカゴオートショー(アメリカ)でプロトタイプが初公開されたのだが、日本ではショーの直前の2月10日に東京・南青山のホンダ本社で記者向けに公開されていた。
ここで注目したいのは、プロトタイプの時はNSXではなく、SとXの間にハイフンが入るNS-Xという車名だった。正式デビュー時にNSXとなったわけだ。
NSXの車名はNew Sports carにホンダが好んで使う未知数(無限の可能性)を意味するXを組み合わせたもの。
日本車3台のXの謎
この年のシカゴオートショーはホンダNS-Xのほか、日産フェアレディ300ZX、マツダMX-5ミアータ(ユーノスロードスター)の3台が出展された。NS-X以外はその後すぐに日本で市販されたが、奇しくも3台とも車名に”X”が使われていたことから、『日本車3台のXの謎』と話題になったのが懐かしい。
NSXが登場した時はバイトの留年生
NSXが日本で正式デビューしたのは1990年9月。私はこの年卒業単位が足りず大学を留年し、六本木にあった『エスキース』というBARでアルバイト。週6勤務とバイトに明け暮れていたが、ゴールデンウィーク明けに現在働いている自動車雑誌『ベストカー』でアルバイトを掛け持ちで始めた。バイト時代の話は、機会を見てお話させていただくが、クルマが好きな若者にとっては夢のような世界を経験させてもらった。
ホンダ初のスーパースポーツ
ホンダはS500、S600、S800とFRスポーツで名を上げ、初代シビックで自動車メーカーとしての地位を確立。1980年代はプレリュード、シビック、CR-X、インテグラなどFF(前輪駆動)のスポーツ&スペシャルティが大人気。
ホンダ=FFスポーツというなか、NSXはホンダ初のスーパースポーツで駆動方式もコックピット後方にエンジンを搭載して後輪を駆動するミドシップを採用した。ホンダとしては画期的な一台だ。
打倒フェラーリを掲げ開発
NSXは日産ミッド4(1985年発表)&ミッド4II(1987年発表)が期待されながらも市販されなかったため、スーパースポーツという日本車としては初の領域に足を踏み入れたモデルだ。
実際にNSXは打倒フェラーリ(V8搭載モデル)を掲げて開発されたことをホンダも隠さなかった。開発ターゲットはフェラーリ328だったと言われていた。
フェラーリとは違うデザインで勝負
NSXは全長4430×全幅1810×全高1170mm。それまでの日本車にはなかったワイド&ローフォルムのいわゆるスーパーカールックで登場。NSXのデザインはフェラーリの後追いをするのではなく、ホンダの独自路線でスーパースポーツを具現化したのはホンダらしさだろう。
ウェストラインより上をブラックアウトすることで航空機のキャノピー風に仕上げ、エンジンもガラスで覆うなど斬新な手法を取り入れた。スーパーカーに必須の開閉するリトラクタブルヘッドライト、低いノーズ、せり上がったウェストライン、伸びやかなリアなど、明らかにほかの日本車とは一線を画すスペシャル感にあふれていた。
NSXは高性能を追求すると同時に普段の街乗りもこなせる実用性が必須としたため、ゴルフバッグが楽々と収納できるトランクスペースが与えられている。スーパースポーツとしては異例なほどリアのオーバーハングが長いのはそのためだ。まぁこれについては、その実用性の高さを称賛する一方で、リアのオーバーハングが長くてカッコ悪い、スーパースポーツとして中途半端といった否定的な意見もあった。
誰もがNSXの高性能をイージーに楽しめるようにという理由から、5速MTだけではなく、4速ATを設定したのも、ほかのスーパースポーツにはない要素だ。
珠玉の3L、V6エンジン
当時のスーパースポーツはフェラーリ、ランボルギーニ、コルベットしかり、エンジンは最低でもV8というのが鉄則だったが、ホンダはNSXにV6を与えた。
レジェンドの3LのV6DOHCをベースにホンダお得意のVTECを組み合わせ、他のメーカーがターボで過給して当時自主規制の上限の280psをマークしていたのに対し、ホンダはNAで実現。しかもそのエンジンフィールは極上で、V8云々と言っていた輩をも黙らせた。ただ、ホンダがNSXを登場させるにあたり、V8またはV10エンジンを新開発していたら世界が変わっていただろう、と考える人は多いはずだ。
NSXはブツけると全損!?
スーパースポーツのNSXの最大のセールスポイントは、量産の市販車として世界初採用したオールアルミモノコック。デビュー当時は、アルミは修復できないから、「NSXはブツけると全損」という情報が流れるなどある意味都市伝説となっていたが、これはまったくのデマ。ただ、アルミフレームの修復費用は激高だった。
ホンダは1993年にNSXのリフレッシュプランを開始。「ホンダのスポーツカーとして販売したからには、その性能を維持できなくてはならない」というポリシーの元、パワートレーン、足回り、内装、外装などを新車の状態に戻すプログラムが用意されていた。
オールアルミモノコックと合わせ、その後に登場した世界のスーパースポーツに大きな影響を与えたのは間違いないだろう。
ホンダファンを熱狂させない理由がない
NSXはホンダ初のスーパースポーツ、卓越したハンドリング性能、珠玉のパワーユニット……、ホンダファンならずクルマ好きを熱狂させる理由には枚挙にいとまがない。
さらに当時のホンダはマクラーレンと組んでF1界を席巻し、ホンダエンジンは最強の名を謳歌していた。その主役だったアイルトン・セナ、中嶋悟の両F1ドライバ―がNSXの開発に携わったと言われていた。程度はどうであれ、ファンとしてはこれはもう感激モノ。
それからNSXは創業者の本田宗一郎氏(1906~1991年)が存命中に登場した最初で最後のスーパースポーツという点もファンにとっては感涙モノ以外何物でもない。エンツォ・フェラーリが最後に携わったということで数あるフェラーリの名車のなかでもF40が特別視されるのと同じだ。
そう、NSXにはホンダファンを熱狂させない理由がないのだ。
NSXはデビュー時に最長8年待ち
NSXのデビュー時の価格は、5MTモデルが800万3000円、4ATモデルが860万3000円。今でこそ1000万円クラスの日本車は増えているが、同時代の日産スカイラインGT-R(R32型)が445万円からだったことを考えると、その別格ぶりがわかるはず。その超高額のNSXがデビュー後に狂乱状態になったのは今でもよく覚えている。
NSXの初期受注は正式発表前にすでに1~2年待ちと言われていたが、正式発表後はさらに凄いことになってしまった。一例を挙げると、ベルノ道央(北海道)は5年待ち、東北地方ではベルノ仙台が6~7年待ち、ベルノ郡山(東北)が6年半待ち、ベルノ福島が3年半待ち、東京ではベルノ東京西が8年待ち、大阪のベルノ店でも軒並み5~6年待ちという異常事態だったのだ。これはデビュー当時の『ベストカー』で、私も直接ディーラーに電話して納期を調べたのでウソ偽りのない話だ。
あの手この手で手に入れようと必死
ホンダベルノ店の人から聞いた話は、嘘と思うくらいオモシロいものばかり。
「100万円高く買うから早く納車して」という人などかわいいもので、フェラーリテスタロッサ(当時のフェラーリのフラッグシップ)で乗り付けて、「1500万円で売ってくれ」という人も現われたという。
さらに、どこぞの社長は、「自分の会社の営業車を全部(10台以上)ホンダ車にするから一番納車をお願い」、「個人的にお小遣い上げるから早く回して」、「待つのが嫌でキャンセルが出たらその権利を200万~300万円で売ってくれ!!」などなど。
80歳近いおじいさんが、「私生きているうちになんとか納車をお願い」、「癌にかかっているから生きているうちにNSX乗りたい」など、情に訴える人まで続出した。
NSXを早く納車したいがために、ファンも必死だった。
フェラーリ348がNSXに惜敗して涙
当時私はフェラーリを買うために生きていたと、というほどのフェラーリ好きだった。それゆえ、私が一番気になっていたクルマはフェラーリ348で、失礼な言い方をすれば、NSXなんて眼中になかった。性能だって348のほうが圧倒的に凄いと思っていた。
しかし、現実はまったく違っていた(泣)。
『ベストカー』でNSX対ライバルという企画を展開するにあたり、JARI(日本自動車研究所)の谷田部テストコース(茨城県)にNSX、スカイラインGT-R、フェラーリ348、ポルシェ911を持ち込んでフルテストを敢行。バイトの私はほかの仕事があって、テストに同行できなかったのだが(泣)、NSX対フェラーリ348のテスト結果は以下のとおり。
■0-400m加速 NSX;13秒70、フェラーリ348:13秒80
■0-1000m加速 NSX: 24秒91、フェラーリ348:25秒30
■0-100km/h加速 NSX:5秒58 フェラーリ348:5秒60
■最高速 NSX:266.0km/h フェラーリ348:263.0km/h
そう、すべてのテストでNSXが僅差で勝ち全勝。データでは僅差だが、私にとっては惨敗だ!! この結果に落胆し、涙した。私にとって大事件だった。憧れの存在を完膚なきまでに叩きのめされたことで、NSXの凄さを実感した。
NSXの中古相場は爆上がり
日本を席巻したNSXもデビューから35年となる。今でもホンダファンだけでなく、日本のクルマ好きを魅了しているのだが、中古車がとんでもないことになっている。
NSXはモデル追加、改良などを受けているが、1989~2001年の3Lエンジンのリトラクタブルヘッドライト、2001~2005年の3.2Lエンジンの固定ヘッドライトの2タイプに大別することができる。ここでは前者を前期、後者を後期とすると中古車相場は以下のようになる。
■前期モデル(3ℓ):5MTが1000万円前後~/4ATが650万円前後~
■後期モデル(3.2ℓ):6MTが1100万円前後~/4ATが750万円前後~
スペシャルモデルのタイプR(前期)、NSX-R(後期)はほとんど流通しているクルマはないが、前期/後期とも3000万円前後からとなっているが、5000万円級の個体もある。もはや言い値状態になっている。それでも欲しい人は買う。羨ましい限りだ。
NSXは高騰は今が上限!?
NSXを安く(安くはないけど)買いたいなら、前期型、後期型とも4ATモデル。年式よりもこまめにメンテナンスをして程度のいい状態を保っているかどうかがポイント。クルマのキャラクター上、中古車に出回っているモデルは5万km前後の個体が多いが、10万㎞オーバーの個体もあり。
走行距離が短い個体は、買い取り価格、中古車価格とも高い。一方、走行距離が10万kmを超えるようなクルマの場合は、買い取り価格は安くたたかれ、中古車市場では高く売られている傾向にある。言ってみれば、店として美味しいクルマと言える。
日本のスポーツカーの中古車バブルにより、NSXの中古車も高騰し、高値安定が続いているが、今がピークと見ている業者もいる。さてどうなるか。個人的には、スペシャルなクルマゆえ、高くていいと思っている。
NSXが苦戦した理由
日本でNSXは2005年までに約7400台が販売された。1991年の約4000台をピークに1992年から3桁、1998年から2桁と販売台数を落としていった。
タルガトップのタイプT、究極のタイプRの追加、排ガス規制への適合、カラーバリエーションなどいろいろなモデルを追加したが、前述のとおりマイチェン前とマイチェン後はあるにせよ基本は1モデルのみ。
それに対しホンダがライバル視していたこの分野の王者フェラーリは、NSXのモデルライフ中に348、F355、360モデナと3タイプを登場させている。数を出せばいいってもんじゃないが、性能は高くてもユーザーへの訴求という点でNSXは厳しかったのかも。
そのNSXも2015年に2代目のNSXを登場させたが、2022年10月に販売を終了してしまった。こちらはアメリカ主導の開発ということもあり、日本人の琴線を刺激することなく終わった感があるのは残念。
2028年、BEV(電気自動車)のスーパースポーツとしての登場が有力視されている3代目NSXの登場に期待したい。
【NSX主要諸元】
全長4430×全幅1810×全高1170mm
ホイールベース:2530mm
車重:1350kg
エンジン:2977cc、V型6気筒DOHC
最高出力:280ps/7300rpm
最大トルク:30.0kgm/5400rpm
価格(東京地区):800万3000円(5MT)/860万3000円(4AT)
【豆知識】
2代目NSXは2015年にデビュー。電動化スポーツの先陣を切ってSPORT HYBRID SH-AWDという画期的な技術を盛り込んだハイブリッドスポーツだ。開発の主体はアメリカで、オハイオ工場で生産され、アメリカから輸入する形で日本で販売。2022年に走りを強化したタイプSを登場させ、それが完売となった時点で終了となった。世界一乗りやすいスーパースポーツだったが、ライバルに対しインパクトに欠け販売面では苦戦した。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/HONDA、ベストカー