SNSで最新情報をチェック

「俺でもできるっちゃない?」とラーメン界へ

そんな山田兄弟が何故ラーメン店を開業したのか?

兄・晶仁さん曰く「ある日、テレビでラーメン特集がやっていて、”ラーメン店は気合と根性があれば必ず成功する”っていう言葉に触発され、”俺でもできるっちゃない?”と思い、ラーメン界に入る事を決意しました」とのこと。

兄・晶仁さんは18歳の時、福岡中のラーメン店を食べ歩き、自分が美味しいと思ったラーメン店で修業を始めます。弟・章仁さんも、高校1年生の時に同店にアルバイトとして入り、高校卒業後すぐに社員として働き、それぞれ兄が7年半、弟が5年間の修行の末、2012年11月27日に「博多一双」本店を開業。兄25歳、弟21歳のことでした。

「博多一双」開業時

飲食店がことごとき撤退した場所でスタート

博多一双は博多駅から徒歩6分ほどの場所(福岡市博多区博多駅東3 – 1 – 6)に開業。今でこそホテルや飲食店も増え、それなりに人通りが多いエリアとなりましたが、開業したころはお昼時にサラリーマンの人がいるだけで、夜は全く人もいない場所でした。またこの場所は多くの飲食店が開業しましたが、ことごとく失敗していた場所でもありました。

何故この地に創業したのか?

兄・晶仁さん曰く「元々地元の方々に支持されるお店を目指していました。特に地元で働くサラリーマンの方々がラーメンを食べて、”よし午後からの仕事頑張ろう!”とか”今日は頑張ったからご褒美に美味しいラーメンを食べたい”と思ってもらえるようなお店にしたいと思っておりましたので、不安もありましたが、ここでやるという決断に至りました」とのこと。

開業後、平日はそれなりにお客さんが来ましたが、夜と休日はやはり苦戦したようです。弟・章仁さん曰く「手元資金に余裕がなかったですが、とにかく美味しいラーメンをという想いでお客さんの声を聞いたり、兄と話し合いながら日々試行錯誤を繰り返しました」

弟の章仁さん(左)と兄の晶仁さん

そんなある日、気づいたら夜も休日もお客さんが来るようになりました。「お客さんから”食べログで1位のお店だから来てみた”と聞き、知らない間にこれまで来ていただいたお客さんによる書き込みで夜や休日にも足を運んでくれるようになりました。開業の半年後のGWには行列ができるようになりました」

その後、お客様が順調に増え続け、開業から2年が過ぎたころにはスープの仕込みが追い付かなくなり、夕方にはスープ切れでお店を閉めざるを得ない状況が続きました。そこから24時間体制でスープを炊いても間に合わなくなったため、近隣に店舗を借り、そこでもスープを取り、ようやく売切れなくて営業できるようになりました。その後、2014年5月29日には中洲店、2016年9月28日には祇園店をオープンし、現在福岡で3店舗を運営しています。

中洲店のオープン時(2014年)

福岡にこだわり続ける理由

私たち新横浜ラーメン博物館が「博多一双」さんを初めて食べたのが2014年。開業してから2年が経った頃です。地元のラーメン通からの口コミでした。

当時のメモには「活気と勢いがあり、地元の人に支持されている。10年後にこの状態が続いていたら、次世代の博多ラーメンを担うお店になるのでは」と書かれていました。

10年経った「博多一双」さんは私たちの想像を超えたお店になっていました。私たちは「次世代の博多ラーメンを担う代表としてご出店いただきたい」とお声がけをしましたが、その答えは「NO」でした。

その理由について兄・晶仁さんは「私たちは福岡で生まれ育ち、商売をさせていただいているので、現段階で福岡県外に出店することは考えていない。豚骨、チャーシュー、麺、醤油などの食材も全て地元福岡の業者から仕入れるなど、頑なに地元福岡にこだわり続けてきました。私たちのお店を目指して福岡県外からお客さんが来てくれることが少しでも恩返しになると思っていました」とのこと。

兄の山田晶仁さん

少し頭が固かった?海外にも知らしめたい!

私たちはいつものことながら何度も何度も通い、不安点を1つ1つ解決していきました。

新横浜ラーメン博物館はある意味アンテナショップであり、過去の実績からここで知った人が本店に行く人が多くいることと、ラー博は海外からのお客様も多いため、国内のみならず全世界から福岡を訪ねることとなる、その結果として博多ラーメンを世界中に知らしめるチャンスであると何度も話し合いました。

少しずつ考え方も変わってきた中、山田兄弟がニューヨークを訪れた際に「これまでは地元福岡に食べに来てもらいたい、福岡の地で頑張りたいという気持ちが強かったですが、少し頭が固かった。これからは、福岡のとんこつラーメン、博多一双のラーメンを、関東圏、そしてゆくゆくは海外にも知らしめたい。ラーメン博物館で”とんこつラーメンといえば博多一双”と言ってもらえるように頑張りたい」と考えるようになり、出店を決断していただきました。

弟の山田章仁さん

客がSNSで名付けた「豚骨カプチーノ」

博多一双の代名詞「豚骨カプチーノ」という言葉は、どんぶり一面に浮かぶ泡(脂泡)を表現して、開業から1年が過ぎたころ、お客様がSNSで名付けたのが始まりです。

この泡はブレンダー等で意図的に作り出したものではなく、スープを炊くときに空気と脂が混ざり合い、自然に出来たものです。泡のマイルドさと豚骨が持つ力強さが同居した、極上のスープが完成するのです。

豚骨カプチーノ

兄・晶仁さん曰く「私が修業時代、この泡はアクだから捨てなさいと教わりましたが、私は泡が立っている時が一番美味しいと思っていたので、独立後はこの泡が出ている状態のスープでラーメンを出したいと思っておりました。”豚骨カプチーノ”という言葉は後からお客さんにつけていただいた言葉であり、決して最初から戦略的に泡を出しているわけではなく、あくまでもこの状態が美味しいから泡を出しているのです」とのこと。

■スープ
スープは国産豚の骨だけを使い、店主の考える黄金比によって豚の頭骨、背骨、げんこつをしっかりと下処理し、高い火力で骨がホロホロになるまで3つの寸胴を使って長時間炊き上げます。

骨の髄からうま味を最大限に引き出されたとんこつスープに浮かぶ泡は濃厚な手作りとんこつスープの証で、「豚骨カプチーノ」と呼ばれる極上のスープなのです。

スープ

■麺
替え玉率8割の麺は、しなやかであり触感が心地いい歯切れの良さが特徴。形状を平打ちにする事により、濃厚な豚骨スープを持ち上げ、ぷつっと歯切れの良い触感が生まれます。

平打ちの細麺

■具材
チャーシューは、店主が吟味した安心安全な豚肉を使用。ラーメンダレでラーメンの味を邪魔しないシンプルな味付けをしているため、スープになじみ易く肉の味を楽しめます。

その他の具材は、きくらげ、青ネギとシンプルな構成。

チャーシュー
次のページ
福岡のラーメン史に名を刻む歴代の銘店...
icon-next-galary
icon-prev 1 2 3icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

おとなの週末Web編集部
おとなの週末Web編集部

おとなの週末Web編集部

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。9月13日発売の10月号は「ちょうどいい和の店…