明治になって廃城、天守台は残った
松代城は明治になり廃城、取り壊されましたが、平成16年に本丸太鼓門や太鼓門前橋、北不明門(きたあかずもん)、二の丸土塁の復元が終了、天守閣はありませんが天守台が残ります。また本丸戌亥隅櫓台(戌亥=いぬい=西北)には、自然石をそのまま積み上げた野面積みと呼ばれる石垣があり、一見の価値があります。桜の名所としても有名です。
江戸時代末期の邸宅として貴重な真田邸も公開されており、特に庭園の美しさが印象に残ります。この真田邸は、松代城とともに国の史跡になっています。また、真田氏の大名道具約5万点を集める真田宝物館や、8代藩主・幸貫が水戸の弘道館にならって計画し、9代幸教の時代に完成した藩校文武学校、佐久間象山の業績を展示する象山記念館などがあり、見所はたくさんあります。ゆっくりと散策されることをおすすめします。
【松代城】
武田信玄の軍師だった山本勘助が築城した海津城をベースにする平城で松代真田家3代、幸道の時に松代城と改められた。明治に廃城となって壊されたが、平成に入って復元が進み、本丸太鼓門や太鼓門前橋、二の丸土塁などが完成した。桜の頃はひときわきれいで多くの観光客が訪れる。
住所:長野市松代町松代44
開館時間:9~17時(11月~3月は16時半まで)
定休日:12月29日~1月3日
入場料:無料
電話:026-278-2801(松代文化施設等管理事務所)
■戌亥隅櫓台
松代城には天守はなく、真田信之が治めた頃は戌亥隅櫓が実質的な天守だったようだ。
■真田邸
9代藩主、幸教が義母である貞松院の住居として1864(元治元)年に建築した城外御殿。隠居後の幸教も住み、明治になって伯爵となった真田家の私邸になった。
住所:長野市松代町松代1
入館料:大人400円、小中学生100円
開場時間:9~17時(11月~3月は16時半まで)
定休日:12月29日~1月3日
電話:026-215-6702
【真田信之】
さなだ・のぶゆき。1566~1658年。戦国武将、真田昌幸の長男として生まれる。父の昌幸や弟の信繁(幸村)に比べると地味な存在だが、生涯無敗の合戦上手にして、徳川四天王のひとり本多忠勝の女(むすめ)を正室にし、父と弟と袂を分かつなど、政治力のある人物でもあった。信濃松代藩10万石の藩祖であり、93歳まで生きたことで最後の戦国武将と呼ばれる
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」