太平洋戦争のときは、もちろん輸出はできません。種苗がなければカキの養殖はできないのです。太平洋戦争が終わると、「早く種苗を送ってください」との声が強まりました。マッカーサー元帥が、「1日も早くカキの種苗生産をするように」という命令の通達を出したことは有名です。
機会があったら新昌がカキと出合ったシアトルのピュージェット湾を訪れてみたい、とずっと思っていたのです。機会が訪れたとき、娘の愛子がニューヨーク州立大学に留学していました。通訳と運転手として、シアトルに呼び寄せました。妻と娘とわたしの3人旅です。
…シアトルに到着すると売り子が「オイスター、オイスター」と呼びかけます。「ここにきて、やっぱり凄かった…宮城新昌、100年前にアメリカで大成功した「運命のカキ」の味」ではその熱気をかき分け、宮城新昌がこの地で根付かせたカキを探しに向かいます。
連載『カキじいさん、世界へ行く!』第9回
構成/高木香織
●プロフィール
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)
1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。一方、子どもたちを海に招き、体験学習を行っている。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。