昭和天皇は、蕎麦が大好物であった。天皇家のお正月は行事が続き、食事も儀式のうちだ。そのため、前日の大晦日がほんの少しゆっくりできるひとときなのだという。昭和天皇は、日常生活での食事はけっしてぜいたくはされず、ふつうに人々が食べるものと同じ料理を召し上がった。なかでも蕎麦はお代わりされるほどお好きだった。今回は、昭和天皇の愛した蕎麦の物語である。
画像ギャラリー昭和天皇は、蕎麦が大好物であった。天皇家のお正月は行事が続き、食事も儀式のうちだ。そのため、前日の大晦日がほんの少しゆっくりできるひとときなのだという。昭和天皇は、日常生活での食事はけっしてぜいたくはされず、ふつうに人々が食べるものと同じ料理を召し上がった。なかでも蕎麦はお代わりされるほどお好きだった。今回は、昭和天皇の愛した蕎麦の物語である。
お正月の諸行事の前のひとときに召し上がる「年越し蕎麦」
新しい年を迎えると、天皇家ではさまざまな行事が行われる。一般参賀にお出ましになったり、ご親戚の皇族の方たちや各国大使、総理大臣や閣僚のご挨拶を受けられるなどスケジュールがびっしり詰まっている。
天皇家では、三が日の食事も神様へのお供えであり、人々の幸せを祈る縁起のよいものとして召し上がられる。三が日は朝と夜は同じ献立が続く。刺身や焼き物などの食材が少しは変わるけれど、基本的に構成はまったく同じ。しかも、毎年変わることはない。天皇家の正月料理は、あくまで儀式の料理なのである。
そんなお正月を迎える前に、ほんの少しゆっくりしていられるのが大晦日だという。大晦日には、天皇家でも、一般の家庭のような「年越し蕎麦」を召し上がる。とりわけ昭和天皇は、蕎麦がお好みであった。
打ち立ての「蕎麦そのものの味」を楽しまれる
昭和天皇は天ぶらなどの具が乗るよりも、すっきりしたもり蕎麦がお好きだったという。蕎麦は天皇家の調理を担当する大膳で作り、打ち立ての蕎麦をお出ししていた。
蕎麦の薬味はさらし葱のみ。葱の白いところを薄く切り、水にさらして揉んでからお出しする。生葱を召し上がることはなく、七味唐辛子やワサビをおつけしても手を付けられることはなかった。そして、やや甘みの強いたれで召し上がられる。薬味に頼るより、蕎麦そのものの味を楽しまれているようだった。
蕎麦が食卓に上るときには、ごはんも一緒に出された。しかし、ごはんは召し上がらずに、きっと蕎麦をお代わりされた。大膳も心得ていて、あらかじめ二杯分を用意しておき、お声がかかるとすぐに次の蕎麦をゆでたという。
ちなみに、ごはんは麦入り。米が八割、麦二割の麦ごはんであった。蕎麦は、伊勢の神宮の遷宮の際に出た廃材のひのきで作った箱型の容器に盛られた。
蕎麦は、大みそかに限らず、毎月30日には「晦日(みそか)蕎麦」として召し上がられていた。それほど蕎麦がお好きだったのだろう。
「おいしかった」という一言で、料理する人をねぎらう
昭和天皇は、量はそれほどではなかったが、まんべんなくいろいろな料理を召し上がった。あちこちに少しずつ箸をつけて残すようなことはせず、気持ちのよいほどきれいに召し上がる方だった。ただ、ご自分で残しそうだと思われた料理には、最初から箸はつけられなかった。箸をつけたときにすぐに切れなかったり、堅いと思われたら、それ以上ふれることはなかった。
残された料理は、「おすべり」として大膳がいただくことが許されていた。調理は職員が分担して行うから、大膳といえどもすべての料理の味を知っているわけではない。「おすべり」としていただいた料理を皆で味見して、次に料理を作る参考にしたという。
昭和天皇は、ご自分から食べたいものを所望されることは決してなかった。「これが食べたい」と希望を述べれば、その都度まわりが大変な思いをすると配慮されたのだろう。しかし、食べた料理がおいしいときには、必ず「今日の料理はおいしかった」という言葉が大膳に伝えられたという。料理を作る人の気持ちがわかるお方であった。(連載「天皇家の食卓」第29回)
参考文献/『宮中 季節のお料理』(宮内庁監修、扶桑社)、『昭和天皇のお食事』(渡辺誠著、文春文庫)、『昭和天皇と鰻茶漬 陛下一代の料理番』(谷部金次郎著、河出文庫)、『昭和天皇のごはん おいしい話と秘伝のごはん』(谷部金次郎著、新人物往来社)、『天皇陛下料理番の和のレシピ』(谷部金次郎著、幻冬舎)
文/高木香織
たかぎ・かおり。出版社勤務を経て編集・文筆業。皇室や王室の本を多く手掛ける。書籍の編集・編集協力に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』『美智子さまから眞子さま佳子さまへ プリンセスの育て方』(ともにこう書房)、『美智子さまに学ぶエレガンス』(学研プラス)、『美智子さま あの日あのとき』、『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』『ローマ法王の言葉』(すべて講談社)、『美智子さま いのちの旅―未来へー』(講談社ビーシー/講談社)など。著書に『後期高齢者医療がよくわかる』(共著/リヨン社)、『ママが守る! 家庭の新型インフルエンザ対策』(講談社)。