カキ好きのフランス人、ルイ・ヴィトンのメール
わたしの暮らす舞根地区も家を流された人が多く、ほとんどの人が仮設住宅に住んでいました。仕事を失ってしまった人も多かったのです。
わたしの養殖場も働く人を雇いたいのですが、給料を払うのが大変なのです。カキの種苗を筏につり下げましたが、収獲できるのは一年後です。それまで収入がないのですから。
震災発生からまだ日も浅い3月のある日、息子が、
「フランスのルイ・ヴィトン社から、お父さんを支援したいというメールが入っているよ」
と教えてくれたのです。ルイ・ヴィトンはフランスの高級ブランドです。読者の皆さんだって、「えっ」と思うでしょう。ゴム長靴と合羽姿で働いている漁師からは、もっとも遠い存在ですよね。
でも、わたしにはピンときました。日本とフランスには、カキの種苗を通して深い関係があったからです。世界でもっともカキが好きな国民はフランス人です。フランス人にとってカキは、日本人がおすし屋で食べるマグロのようなものだからです。
今から60年のほど前ですが、フランスのカキ養殖に大問題が起こりました。ウイルス性の病気が発生し、ほぼ全滅しかけたのです。「おすし屋さんからマグロが消えた」と思えば大きな問題だと想像できるでしょう。
フランスのカキを救ったのは、宮城種です。北上川の河口でとれるマガキの種苗です。成長が早く、おいしく、病気に強いという優良種なのです。東北大学のカキ博士だった今井丈夫先生が仲立ちし、フランスに送ったのです。なんと、まったく病気が出ず、見事に成長し、フランスのカキ養殖は復活したのです。
カキ好きのフランス人は、そのことを恩義に感じてくれていたのですね。東日本大震災が発生してから、ルイ・ヴィトン社は支援先をどこにするか、慎重に検討したそうです。
ルイ・ヴィトン社は、もともと環境保全活動に関心がありました。木のトランクの製作がルーツなので、森林を大切にする社風が続いていて、日本でも長野で「ルイ・ヴィトンの森」という森づくりをしています。「森は海の恋人運動」には、以前から関心があり、今回の震災の支援先の選考会議で、真っ先に候補にあがったというのです。そして、いいカキを育てるために、海に注ぐ川の流域の森林を守る運動を長年続けているわたしを選んでくれたのです。
その金額は、30人の給料の1年分に匹敵する額でした。
ルイ・ヴィトン社って、どんな会社なのでしょう。日本でも東京はもとより、大きな都市の1等地に、ルイ・ヴィトンのお店はありますよね。すごい会社であることは想像できます。
わたしはそのとき、支援を受けることは大変ありがたいけれど、どのような気持ちで、どのような態度で支援してくださるかを見極めなければ、と思ったのです。
四月、息子の耕に付き添われ、東京で行われたルイ・ヴィトン本社のエグゼクティブも同席する会議に出向きました。フランスと日本のカキ養殖の歴史、そして森をつくることが海の復興につながることを説明したのです。みなさん熱心に耳を傾けてくれました。その後、支援が正式決定されたという連絡を受けとったのです。
…つづく「巨大津波でも死ななかった…生き物が消えた「真っ黒な海」で三陸のカキが蘇った、驚きの理由とは」では、東日本大震災で壊滅的被害を受けても、カキや魚たちが生きていることを知ったカキじいさんが「森と海のつながり」を確信した瞬間をお伝えします。
連載『カキじいさん、世界へ行く!』第19回
構成/高木香織
●プロフィール
畠山重篤(はたけやま・しげあつ)
1943年、中国・上海生まれ。宮城県でカキ・ホタテの養殖業を営む。「牡蠣の森を慕う会」代表。1989年より「海は森の恋人」を合い言葉に植林活動を続ける。『漁師さんの森づくり』(講談社)で小学館児童出版文化賞・産経児童出版文化賞JR賞、『日本〈汽水〉紀行』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、『鉄は魔法つかい:命と地球をはぐくむ「鉄」物語』(小学館)で産経児童出版文化賞産経新聞社賞を受賞。その他の著書に『森は海の恋人』(北斗出版)、『リアスの海辺から』『牡蠣礼讃』(ともに文藝春秋)などがある。 2025年、逝去。
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