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国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、休日のドライブで聴きたくなる名盤を紹介します。今回、取り上げるのは、大滝詠一(1948~2013年)です。12月30日の命日に、この偉大なミュージシャンが残した日本の音楽史上に残る名盤『A LONG VACATION』(ア・ロング・バケイション)=1981年3月21日リリース=について考えます。

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2013年12月30日、65歳で死去

大滝詠一が2013年12月30日、65歳で逝って 11年が経った。急逝ともいえるその死は、彼のファンはもちろん、ぼくにも 強いショックを与えた。まだ若過ぎた。何故もう1枚くらいアルバムを残してくれなかったのだろう、そう思った。

岩手県江刺郡梁川村(現在は奥州市)に生まれた大滝詠一は母子家庭で育ち、母親は公立学校の教師だった。小さい頃から音楽好きだったが、10歳の年の夏、米歌手コニー・フランシ スの「Lipstick On Your Collar」(邦題:カラーに口紅)を聴いて衝撃を受け、アメリカン・ポップスの大ファンとなった。

“コニー・フランシスとの出逢い以来、とにかくアメリカン・ポップスを聴きあさったと言ってもレコードをバンバン買えるほど裕福でなかったので、ラジオが世界の中心だった。うるさいと親に怒られるので夜中は厚い布団をかぶってFEN(米軍極東放送網のこと。1997年からはAFNに改称)を毎晩聴いてたね”。その生涯で10回以上インタビューさせてくれた大滝詠一は、ぼくにそう教えてくれたことがあった。

1967年に上京、70年の「はっぴいえんど」結成へ

1967年に上京した大滝詠一は、翌年に早稲田大学第二文学部に入学(後に中退)した。そして友人の紹介で細野晴臣と出逢う。その出逢いは1970年、伝説の名バンド「はっぴいえんど」の結成へと通じる。

はっぴいえんど活動中の1972年、アルバム『大瀧詠一』を発表した。はっぴいえんど解散後はCM音楽の制作や、ロック歌手で友人の布谷文夫(ぬのやふみお)などのプロデュースを行ない、1974年9月に自身のプライベート・レーベル「ナイアガラ・レーベル」を設立した。現在は“ナイアガラー” と呼ばれる大滝詠一のコアなファンたちによって、1970年代のナイアガラ・レーベルのレコード群は再評価されているが、当時は大きなヒットに至らなかった。

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岩田由記夫
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