2000年10月にデビューした日産の初代エクストレイルは若者の心をガッチリとつかみ大ヒット。その陰には売れて当然と言えるほどの日産の努力があったのです。これこそ日産復活のカギを握ると言われるゆえんです。
画像ギャラリー今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第43回目に取り上げるのは20世紀末の2000年に登場した日産の初代エクストレイルだ。
日産が深刻な経営難
日産は2024年4月から9月までの中間決算を発表。北米、中国での販売不振が大きく影響して、営業利益は前年比で90%超の大幅減益となったと発表。その発表の席上で日産の内田誠社長は、世界で生産能力を20%削減し、9000人のリストラを行う方針を示した。
日産は1ドル=155円で計上していて、今回の決算発表は、まだ円安をキープしたままだったためわずかながらでも黒字となったが、もし円高傾向に触れていれば一転大幅な赤字もあったのだ。日産の非常に危うい状態は今後数年は続くと考えられているなか、12月にホンダとの経営統合に向けて検討を始めると正式発表し、世間を大いに騒がせた。
世紀末にルノーと提携
思い起こせば25年前の1999年。日産は2000年3月期(1999年度)に6844億円もの純損失を出し、有利子負債は2兆円を超えるなど深刻な経営難にあった。この時すでにクルマ雑誌の編集に携わっていた筆者は、「日産が倒産するかも」と思ったが、自動車評論家、経営評論家は「末端までの影響力を考えると絶対に日産を潰さない」というものだった。
その予言が的中するように、1999年3月にフランスのルノーとの経営統合が電撃的に発表された。当時のレートでルノーが6430億円を日産に出資し、日産株の36.8%を取得。つまり日産はルノー傘下入りしたのだ。真相は明らかになっていないが、日仏の政府間で話し合いが進められ、元国営企業のルノーに支援を要請したという噂も出ていた。今回の日産のホンダとの経営統合も、日産を潰さないために、政府がホンダに支援要請したという噂も出ているほど。日産規模の会社になると、倒産時の影響力が大きすぎるためだが、釈然としない中小企業経営者は多いはずだ。
売れるものはすべて売る
日産とルノーの提携によりルノーから日産に送り込まれたのがカルロス・ゴーン氏だ。ゴーン氏はコストカッターの異名のとおり、不採算分野などをことごとく売却。人員のリストラも含め、『日産リバイバルプラン』を推進し、V字回復を見せ時代の寵児ともてはやされた。現在は売るものすらないという状況を考えると、ゴーン時代には売却できるものがあっただけまし、ということになるだろう。
初代エクストレイルはゴーン体制になった直後に登場
そのゴーン氏が日産に来てからいろいろなクルマが登場。しかしクルマというのは開発に短くても3~4年、長ければもっとかかるので、それらはすべて旧体制下で開発が進められたモデルだ。そのうちの一台が2000年10月にデビューした初代エクストレイル。
初代エクストレイルはゴーン体制下ではないと生まれていないクルマと言われているが、これはウソ。フェアレディZ(Z33)は開発が凍結されていながらも、ゴーン氏の鶴の一声で開発が再開始、晴れてデビューしたクルマの代表だが、そのほかのモデルに関しては意外なほど車種リストラはやっていない。つまりどんな体制下であろうと初代エクストレイルはこの世に登場していたのだ。ゴーンがいたから登場したのは2代目のほうだ。
SUVに立ち後れていた日産
日本では1990年代初頭のクロカンブーム、ステーションワゴンブーム、乗用タイプミニバンブーム、BOXタイプミニバンブームなどなどクルマ界にはいろいろなブームが訪れたが、1997年にデビューした初代トヨタハリアーによって勃発したのがSUVブーム。各メーカーからいろいろなモデルが登場。なかでもトヨタはポストセダンとしてSUVを充実させていたし、ホンダもCR-Vを刷新するなどしていたなか、日産は大きく立ち後れていた。日産はこれまでいろいろなカテゴリー、技術で日本初、世界初などを謳歌していたが、SUVに関しては完全に後発となってしまった。
トレンドと逆行
SUVブームのパイオニアである初代ハリアーをはじめ、スタイリッシュ、高級感、乗用車的な雰囲気などが当時のトレンドとなっていたなか、待望の日産のブランニューSUVの初代エクストレイルは、そのトレンドとは真逆、武骨なデザイン、土の香りが漂う雰囲気、タフさなどを前面に打ち出していたためさせるちょっと異質にも映った。
エクステリアデザインに関しては、クルマ雑誌『ベストカー』の連載でテリー伊藤氏が、「デザインしていないのがデザイン」という明言を誕生させたが、まさにいい得て妙。お世辞にもカッコよくないし、凝ってもいないデザインなのだが、不思議とハマった。
今でこそギア感を強調したモデルは登場しているが、初代エクストレイルはその先鞭をつけたモデルと言っていい。
若者がターゲット
初代エクストレイルは一にも二にも若者。若者をターゲットとした日産のブランニューSUVなのだ。ここまでターゲットを明確にして邁進した日産車も珍しい。そもそもエクストレイル(X-TRAIL)という車名だが、「X」はX-trem(=extreme)sports(スノーボード、スケートボードなど、若者に人気のスポーツ競技のこと。「TRAIL」は、足跡、オフロード、荒れた道などの意味で、「X-TRAIL」は、その2つの言葉をかけ合わせた、4×4のイメージとしての造語。
エクストリームスポーツは、ファッション、音楽などへも大きな影響力を持つ。後追いするのではなく、時代の流れを察知してそれを実践する日産の目の付けどころは素晴らしかった。瞬く間にエクストレイルが若者の人気モデルとなったのは言うまでもない。
イメージ戦略が大成功
初代エクストレイルのTV CMなどでもエクストリームスポーツをアピールしたり、ウインタースポーツ、マリンスポーツなどを楽しむ若者にフィーチャーしていたが、イベント系にも力を注いでいた。それが『X-TRAIL JAM(エクストレイル・ジャム)』だ。初代エクストレイルがデビューした翌年の2001年から東京ドームで開催された世界最大級の屋内スノーボードイベントで、スノーボードセッションの間ではアーチストによるライブも開催され若者から大人気。エクストレイルの知名度をアップさせるのに大きく貢献。クルマ関連スポンサーのエクストリームスポーツとしては、『TOYOTA BIG AIR』(1997~2014年・札幌)と並ぶビッグイベントに成長していたが、『X-TRAIL JAM』は2008年をもって終了してしまったのはもったいなかった。
とにかく運転しやすい
若者の心をガッチリつかんだことには、全長4445×全幅1765×全高1675mmという大きすぎず扱いやすいサイズで登場したことは見逃せない。若者はわがままで、扱いやすいが安っぽいのはNGなのだが、その点でも新型エクストレイルは条件を満たしていた。さらに安かった!! これは重要。
あと、武骨でスクエアなエクステリアデザイン。当時のクルマは前後を絞ったクルマが多かったなか、ボディの四隅が掴みやすく運転しやすかったのもポイントだ。
インテリア、特にシートはいち早く撥水素材を採用し、ウォッシャブルでタフさを売りとしていたのもよかった。
エンジンは2L、直列4気筒DOHCを搭載し、動力性能的にもまったく不満なし。
4WDはオールモード4×4を採用。スカイラインGT-R(R32)で登場したアテーサE-TSをベースに横Gセンサーを省略したシステムながら、高い走破性を誇り、エクストリームスポーツをアピールするに充分なポテンシャルを備えていた。
武骨ながら細部へのこだわり
クルマ好き、特に走り屋に分類される人たちは、サンルーフが嫌いだ。なぜか? それはボディ剛性が落ちるから。しかし、快適性を重視するSUVではサンルーフの人気は高い。初代エクストレイルがサンルーフが自慢の一品で、開口部面積はライバルとなるトヨタRAV4の約2倍を誇った。
細かいところでは、サイドシルをドアで覆うドア一体型のシルプロテクターを採用することにより乗降性をよくすると同時に、足元が汚れるのを防ぐなど配慮されていた。
そして初代エクストレイルの真骨頂と言えば、量産国産車で初めて樹脂ファンダーを採用したことにある。この樹脂フェンダーは軽い接触などで凹んでも元に戻るようになっているため、気兼ねなくオフロードも走ることができる。竹平素信氏と試乗会に行った時に、エンジニアからフェンダーを蹴ってみてくださいと言われて恐る恐る蹴ってへっちゃらだったのを思い出した。この樹脂フェンダーはサターンなども採用していたが、その後あまり採用例がないのはなぜなのか不思議。筆者としてはもっと普及してほしいと思っている。
ニーズを的確に商品化
日産は2001年に『もっと速いエクストレイルが欲しい』というニーズに応えて、280psの2Lターボエンジンを新規搭載。こいつは強烈に速かった!!
初代エクストレイルは、オーテックジャパン(現日産モータースポーツ&カスタマイズ)のstyle-AXにデビュー時に特別仕様車として販売されていたが、強烈に個性的なフロントマスクが与えられていた。ただ筆者自身、街中で一度も見かけたことはないと思う。そのほかオーテックライダーも設定されるなど、いろいろなニーズに合わせていた。
画期的な塗装に仰天!!
日産は2005年に特別仕様車の『スクラッチガードコートエディション』を販売開始。スクラッチガードコートとは、浅いキズ、ヘアスクラッチなどが自然に回復するというクリアを採用していて世界初の技術。実際に試乗会でブッシュをエクストレイルで走りまくり、足草などでフェンダーにキズが付いても自動修復してビックリ。タフさをセールスポイントとしている初代エクストレイルにはあの手この手が施されていて感心する。
このスクラッチガードコートは現在ではスクラッチシールドに進化して、多くの日産車に採用されている。
FCVの研究
ユーザーから人気の高かったエクストレイルだったが、日産にとっても重要なモデルとなった。そのひとつが、燃料電池車のベースとなったこと。燃料電池スタック、水素タンクなどを搭載するにはスペースが必要ということで各メーカーともSUVで研究を進めるのが常套手段だが、日産は初代英クストレイルで研究開発を進め、実証実験などを含め、エクストレイルFCVのハイヤーが実際に稼働していた。しかし、現在日産は燃料電池車の開発から手を引いている。技術力はあるのに継続性のなさがもったいない。
日産復活のカギ
初代エクストレイルは日産が本気で若者を取り込もうと努力し、見事若者を獲得した好例だ。今振り返ってみても、やることはしっかりやっていて抜かりがない。中途半端感がないのがいい。
一方の販売面。販売会社は売れるクルマを切望する。そんな販社にとって待望のモデルとなったのが初代エクストレイルだった。売れるクルマはセールスパワーが集中してさらに売れる。初代エクストレイルは販売面において好循環となった。
そう、メーカー、販社、ユーザーのすべてが幸せになれたのが初代エクストレイルだ。
さて、今の日産車、ここまで割り切ったモデルがあるだろうか? 残念ながらすでに2025年夏での生産終了が確定的となっているGT-R(R35)くらいだろう。
日産復活のカギを握るのは、初代エクストレイルのクルマ作り、マーケティング手法なのかもしれない。
【初代日産エクストレイルX主要諸元】
全長4445×全幅1765×全高1675m
ホイールベース:2625mm
車両重量:1340kg
エンジン:1998cc、直DOHC
最高出力:150ps/6000rpm
最大トルク:20.4kgm/4000rpm
価格:205万円(FF・4AT)
【豆知識】
2024年12月23日に日産自動車と本田技研工業は、連名で両社の経営統合に向けた協議・検討を開始することに合意し、共同持ち株会社設立による経営統合に向けた検討に関する基本合意書を締結したと発表。日本の2位、3位メーカーの経営統合の動きは世界中にセンセーショナルを巻き起こしている。現在日産の傘下にある三菱自動車は2025年から協議に加わるという。3メーカーの統合が実現すれば、販売台数は約850万台(2023年実績)レベルとなり、トヨタグループ、VWグループに次ぐ第3位となると見られているが、統合までの障壁は大きく、懐疑的に見る専門家もいるため慎重に見ていく必要がある。
市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。
写真/NISSAN、TOYOTA、ベストカー