今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第43回目に取り上げるのは20世紀末の2000年に登場した日産の初代エクストレイルだ。
日産が深刻な経営難
日産は2024年4月から9月までの中間決算を発表。北米、中国での販売不振が大きく影響して、営業利益は前年比で90%超の大幅減益となったと発表。その発表の席上で日産の内田誠社長は、世界で生産能力を20%削減し、9000人のリストラを行う方針を示した。
日産は1ドル=155円で計上していて、今回の決算発表は、まだ円安をキープしたままだったためわずかながらでも黒字となったが、もし円高傾向に触れていれば一転大幅な赤字もあったのだ。日産の非常に危うい状態は今後数年は続くと考えられているなか、12月にホンダとの経営統合に向けて検討を始めると正式発表し、世間を大いに騒がせた。
世紀末にルノーと提携
思い起こせば25年前の1999年。日産は2000年3月期(1999年度)に6844億円もの純損失を出し、有利子負債は2兆円を超えるなど深刻な経営難にあった。この時すでにクルマ雑誌の編集に携わっていた筆者は、「日産が倒産するかも」と思ったが、自動車評論家、経営評論家は「末端までの影響力を考えると絶対に日産を潰さない」というものだった。
その予言が的中するように、1999年3月にフランスのルノーとの経営統合が電撃的に発表された。当時のレートでルノーが6430億円を日産に出資し、日産株の36.8%を取得。つまり日産はルノー傘下入りしたのだ。真相は明らかになっていないが、日仏の政府間で話し合いが進められ、元国営企業のルノーに支援を要請したという噂も出ていた。今回の日産のホンダとの経営統合も、日産を潰さないために、政府がホンダに支援要請したという噂も出ているほど。日産規模の会社になると、倒産時の影響力が大きすぎるためだが、釈然としない中小企業経営者は多いはずだ。
売れるものはすべて売る
日産とルノーの提携によりルノーから日産に送り込まれたのがカルロス・ゴーン氏だ。ゴーン氏はコストカッターの異名のとおり、不採算分野などをことごとく売却。人員のリストラも含め、『日産リバイバルプラン』を推進し、V字回復を見せ時代の寵児ともてはやされた。現在は売るものすらないという状況を考えると、ゴーン時代には売却できるものがあっただけまし、ということになるだろう。