薬剤師から心機一転、こよなく愛す酒とアテを提供する店を開店 天坂さんが、開店した経緯を語る。 「店を開く2021年までは、20年間、薬剤師だったんです。この店舗は、IT関連の仕事をしている夫と友人が自分たちの遊び場を作り…
画像ギャラリー下町の風情と昭和の名残を色濃く感じる東京都墨田区の京島エリア。京成押上線の京成曳舟駅から南東に広がり、「東京スカイツリー」をはじめとする観光地にもほど近いこの一帯には、昭和初期から戦後にかけて建てられた木造家屋や長屋が残り、近年はその建築をリノベーションし店を出店する店主が増えている。そんな京島に「酒とアテと音楽と」をコンセプトに展開する古民家バル『Amarillo.(アマリロ)』がある。街の特性やコミュニティに惹かれてこのエリアに店を出店したという店主の天坂裕香さん(47歳)に、街の魅力について聞いた。
昭和の居酒屋をリノベーションした、音楽に酔いしれる古民家バル
1923(大正12)年の関東大震災を経て急速に市街化が進み、1945(昭和20)年の東京大空襲での壊滅的被害を免れ、「長屋のまち」として形成されてきた京島。1975(昭和50)年ごろには町工場の移転や人口減少に伴い、空き家が続出するようになったが、そんな空き家が今、若手の店主たちの手によって新たな形で息を吹き返そうとしているのである。
今回紹介する『Amarillo.』は2021(令和3)年に開業したばかりのお店。「京成曳舟駅」から約徒歩5分ほどの距離にある。100年以上続く銭湯「電気湯」の向かいにあり、銭湯帰りにふらりと立ち寄る人もいるようだ。広々とした古民家は、2階建て一軒家。聞けば元居酒屋で1929年(昭和4年)に建てられた物件だという。棚にレコードがずらりと並ぶ1階は、カウンター席(7つ)をメインにテーブル席が2つ並ぶ。
オーディオの名機、レコード2000枚
吹き抜けの2階は広々としたソファに腰掛けられるテーブル席(1つ)となっており、いずれの場所でも1970年代の“ビンテージオーディオ”から流れる音楽に耳を傾けつつ、粋なアテとともに希少な日本酒30~40種、約50種の世界のクラフトビール、週替わりのグラスワイン5種類、約40種類のボトルワインなどが味わえる。
スピーカーは、1978(昭和53)年に発売されたヤマハ「NS-10M」。小型だが、音楽業界のモニタースピーカーとして世界中で愛されている名機だ。アンプは、1972(昭和47)年発売のサンスイ「AU-9500」を採用。低域の力強いダイナミックな音が魅力だ。レコードプレーヤーは、「Technics SL-1200MK3」。レコードの暖かな音が心地よい。
レコードは、ジャズやファンク、ロック、シティポップなどさまざまなジャンルの約2000枚が置かれ、その日の気分でかけているという。訪問した日には、レコードプレーヤーが置かれた棚の壁面に、デヴィッド・ボウイ(1947~2016年)の名盤が並んでいた。
薬剤師から心機一転、こよなく愛す酒とアテを提供する店を開店
天坂さんが、開店した経緯を語る。
「店を開く2021年までは、20年間、薬剤師だったんです。この店舗は、IT関連の仕事をしている夫と友人が自分たちの遊び場を作りたいと副業でバーを始めた場所。2020年になると、コロナが流行し、今後バーを継続するか迷いが生まれ、その頃病院での薬剤師の仕事に疑問を感じ始めていた私が、物件を引き継ぎ、ずっと好きだった酒とアテと音楽を軸にした店を開店と決めました」
2人はそれぞれ、東京都港区と立川市の出身。京島のある隅田川の東側、いわゆる「墨東」の辺りは、土地勘がなかったが、他の若手店主と同様に、長屋など古い木造家屋が残る街並みに惹かれ、天坂さんの夫が、2018年にバーを始めたという。
薬剤師だった天坂さんが提供する料理は、薬膳の要素をプラスしたスパイシーな「チャーシュー」のほか、ほっとする味わいの「紅芯大根とタコの浅漬け」やシャキシャキとした食感とレモンの酸味がクセになる「切干大根とツナの塩レモンマリネ」など、顔の見える生産者が作った野菜を使った、カラダにやさしいアテがメインだ。
中野区の病院で働いていた頃、揚げ物をよく食べる人や酒だけを淡々と飲んでいる人が生活習慣病になりやすいという事実を目の当たりにし、「せめて罪悪感を払拭できる、健康的なつまみを提供したい」と強く思うようになったそうだ。
現在は中国の中医学の医師である「中医師」(中国における国家資格)に近しい知識を持つ「国際中医薬師」という資格を取得し、身体バランスの崩れをニュートラルに戻すための「薬膳」の要素を絡めた料理を提供することをモットーとしている。
空気感とコミュニティに惹かれた京島
ところで、異業種から飲食店をはじめるにあたって、京島エリアでスタートする不安はなかったのだろうか。
「京島は他のエリアと比較して比較的家賃が安く、古民家を改修して店を開き、自身のやりたいことを実現させたいという30代から40代の店主が本当に多いので、初めてでも凄くやりやすかったです。店同士の仲も良く、この場所のコミュニティやみんなで京島を盛り上げていこうという雰囲気も気に入っています。うちにないお酒を頼まれたら、近隣のお店をこちらからご紹介することも多いですね」
そう語りながら、手際よく料理の準備をしつつ、訪れるゲスト一人ひとりと気さくに会話する天坂さん。そうして会話を盛り上げた結果、隣になったゲスト同士が友人になり、京島の近隣のお店を梯子することも少なくないそうだ。
新旧が入り混じる、ユニークなエリアへ
「好きなものに囲まれ、本当にやりたいことを形にしていると、自然と毎日が生き生きした日々に変わる」と語る天坂さん。京島の店主たちが展開する店は、バルや居酒屋、蕎麦屋やベーカリーなどはもちろん、ボードゲームカフェやレザー雑貨とワインの店など、個性が光るスポットばかり。
ノスタルジーな空気と新しさが交差する、新旧入り混じるエリアにぜひ足を運んでみてはいかがだろう。
文・写真/中村友美
フード&トラベルライター。東京都生まれ。美術大学を卒業後、出版社で編集者・ディレクターを経験後、現在に至る。15歳からカフェ・喫茶店巡りを開始し、食の魅力に取り憑かれて以来、飲食にまつわる人々のストーリーに関心あり。古きよき喫茶店や居酒屋からミシュラン星付きレストランまで幅広く足を運ぶ。趣味は日本全国の商店建築巡り。