アニメ映画にもなった有名なペリカン
幼稚園に飛来して園児と遊び、アニメ映画にもなった有名なペリカンがいました。動物園などの施設がある山口県宇部市の総合公園「ときわ公園」で飼育されていた「カッタ君」のことです。
カッタ君は、1985(昭和60)年に日本初の人口ふ化で生まれたモモイロペリカン。ときわ公園では67(昭和42)年に、インドからきたモモイロペリカン10羽の飼育を始めており、故郷のインド・カルカッタから「カッタ君」と名付けられました。
その名が広く知られるようになったのは、その3~4年後のこと。公演から約800m離れた幼稚園に空を飛んで通うようになってからです。ときわ公園のホームページによると、「園児たちと一緒に音楽に合わせて踊ったり、鏡に映った自分に恋をして求愛のポーズをとったり」と、人懐っこい性格で園児たちと交流するようになったそうです。
子供たちとペリカンが、日々心を通わせる微笑ましい様子は、ニュースに取り上げられ、カッタ君の知名度は全国区に。95年には、市民の募金で製作されたアニメ映画「カッタ君物語」が公開され、大きな話題となりました。
大きなくちばしに魚を流し込む
ペリカンは、ペリカン科の大型の水鳥の総称です。インドや南欧、西アジアなどに生息するモモイロペリカンのほかに東南アジアからインドに分布するハイイロペリカン、北米のシロペリカンなどがいます。湖沼や湿地、河口域などが生息地です。
大きなくちばしが特徴で、このくちばしの袋には約10リットルもの水が入るとも。泳ぎながら魚を水と一緒に袋の中に流し込んで食べるのだそうです。
市民に愛されたカッタ君は2008(平成20)年に亡くなります。山口宇部経済新聞の報道によると、7月16日の午後3時前、「公園内を散歩していた近所の男性が湖に浮いているペリカンを見つけ」て、カッタ君が死んだことが分かりました。7月8日が誕生日で、23歳になったばかり。人間の年齢に換算すると、40歳ほどという若さでした。
1985年の主な出来事は、海外では「プラザ合意」。米ニューヨーク・プラザホテルで開催された先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議でドル高是正が討議され、この合意により、以降は円高に進むきっかけとなりました。日本では男女雇用機会均等法が成立、日航機墜落事故、阪神タイガースが21年ぶりのリーグ優勝と初の日本一に輝くなど人々の記憶に刻まれる事象が続きました。アフリカ難民の救済を目的にしたチャリティーコンサート「ライヴエイド」がイギリスとアメリカで開催され、世界で同時生中継されたのも、この年です。
文/堀晃和
江戸家猫ハッピー(Edoya Nekohappy)
マルチクリエイター。動物ものまね芸人「三代目 江戸家猫八」の末娘。
1993年から15年間、俳優・緒形拳に師事。共著「地球徒歩トボ」(学研)では写真を担当した。オリジナルキャラクターである猫の「満吉くん」を通して、地球を楽しむための写真・漫画・グッズなどを発信している。2023年7月、伊豆高原で「猫満福庵」という猫のいるギャラリーをオープン。
・「猫満福庵」https://nekomanpukuan.com/
・「江戸家猫ハッピー」https://nekohappy.com/
